2010年 2月 12日 (金)

       

■ 本町かいわいの人と文物 盛岡市先人記念館で企画展

     
  本街芸者の写真  
 
本街芸者の写真
 
  盛岡市本宮の市先人記念館で盛岡の古町名展「本町かいわい」が3月28日まで開かれている。現在の本町通1丁目から3丁目まで、旧町名の八日町、四ツ家町、大工町、油町、花屋町の往時をしのばせる文物を展示した。金田一京助、奥田松五郎、横田チエら本町が輩出した各界の人物を紹介している。

  同記念館では盛岡市内を古い町名ごとに紹介しており、4回目は本町を特集した。本町は藩政時代から盛岡の商業の中心地として繁栄し、近江商人が築いた。藩の御用職人たちが住み、彫物、衣服、足袋、金具、甲冑などを仕立てた。染め物師や庭師も多かった。

  官庁街に近い土地柄で明治以降は料亭が建ち並んだ。政治家や官僚の接待で繁盛し、本街芸者が活躍した。肴町と並ぶにぎわいを見せたが、盛岡駅の開業によって中心商店街を他地域に譲り渡した。

  展示されているのは橋本屋本店の大福帳、田口写真機店の盛岡市大洪水写真帖、駒龍の三味線箱、東商店の豊年油看板など、老舗に伝わる逸品の数々。吉与は競馬に関する資料を提供した。藩政時代は豪商が軒を連ねていた。

  芸術家には清水七太郎がいた。盛岡の洋画団体七光会の中心で活躍し、岩手の画壇の発展に貢献した。清水七太郎と画家の小泉一郎の競作の絵が展示されている。モデルは六尺坊というこじきで、大正の初めから盛岡に流れてくるようになり、三味線や尺八で生計を立てていた。流れ者だがぼう洋とした人柄で市民に親しまれていた。清水は実家の近七味噌醤油店の蔵に六尺坊を招き、絵を描き比べた。本町の文化の厚みを感じさせる故事として紹介している。新撰組とゆかりがあったと言われる奥田松五郎の柔の話も面白い。

  記念館の鎌田聖美学芸員は「藩政時代の中心地で京都方面の商人が住み、職人や大工が住んだ街だった。丸竹など料亭が何軒も店を構えていたことが分かる」と話し、幅広い展示品を見せる企画となっている。

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