2010年 3月 6日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉150 岡澤敏男 「塔中秘事」の元像

 ■「塔中秘事」の元像

  賢治の宗教意識が晩年に「新信仰」へと傾斜していったことについて故上田哲氏は「求道者宮沢賢治が諸宗教を探求し最期にたどりついた宗教的境地は、法華経信仰を中心に諸宗教を融合したシンクレティズム」と考察しました。

  さらにその融合を「シャーマニズム的傾向をもつ芸術と一体化した宗教であった」と指摘していますが、「塔中秘事」の発想に空海の真言密教との融合を感じさせることを見落としできないと思われます。

  賢治も空海もたくさんの顔があって共通項も少なくはない。とりわけ稲作指導にうちこんだ賢治と讃岐平野にある万濃池(周囲21`)の堤防の修復工事の土木技師をした空海とは、ともに農民をいたわるよく似た顔をもっており、晩年の賢治が空海の思想に接近したとしても不思議でないと思われます。

  これまで見てきたように「塔中秘事」下書稿(一)に「これはこれ、岩崎と呼ぶ/大ブルジョアの農場」とあり小岩井農場のできごとと即断してしまうが、つづく「大豆倉庫は三階にして」の詩章によって異常なナゾに気づきます。

  小岩井農場にあるのは「四階」であり「三階倉庫」は存在しないからです。そのナゾ解きをスパイラルする7段階の下書稿から、「三階の倉庫」はサーンチーのストゥーバ(博物館)を亀腹とした三層の仏塔(脱穀塔)へ変身させた建物と解読し、空海の高野山根本大塔を発想モデルとした「脱穀塔」と推察したのです。

  その解読のキーワードとして下書稿(六)を手入したときに挿入した次の詩章を注目しました。それは、「巨なるプデングに似る/そのかみの博物館」並びに「歓喜天そらやよぎりし」という詩章です。

  この発想をもとに下書稿(七)は「玉蜀黍の倉庫」を「脱穀塔」へと転生させているのです。こうして賢治の晩年における「新信仰」に渦巻くカオスの片鱗を、「塔中秘事」はみごとにあぶりだしている作品として注目したいのです。

  賢治は、若き日の閉塞した思いを癒やしてくれた揺籃(ようらん)であり、洋式農業の「新鮮な奇蹟」だった小岩井農場を晩年の病床で懐かしく回想したものでしょう。その回想の霧の中から忽然(こつぜん)と姿を現したのが「四階倉庫」で、今まで忘れていた〈女のわらい〉声が耳元にこだましました。それは、これまでの作品についぞメモしなかった新鮮な〈栗鼠の秘めわらひ〉めく声音でした。

  あれは確か花巻(稗貫)農学校の教師になったばかりの大正11年の冬、教材の資料を求め耕耘部を初めて訪れたその帰り道のこと。あまりにも光り輝く四階倉庫のアズライト(藍銅鉱石)の屋根をみとれていたのでしょう。この屋根は大正8年に柾葺きから鉄板に改装されたのです。そのときふいに、四階の窓から笑いどよめく女性の声が漏れてきたのです。

  耕耘部勤務の古老(蛯名啓四郎)が書いた「四階倉庫物語」(『小岩井会会報』第九号)によれば、重労働に堪えない妊産婦の補女(従業員の妻女)たちは冬仕事として四階倉庫で大豆の種子の選種をしたらしい。もしかしたら「女のわらひ」はその仕事中のできごとだったかもしれません。その「わらひ」声は、胸のときめきを感じたものの手帳にメモするほどではなかったのでしょう。それを〈栗鼠の秘めわらひ〉ととらえ「秘事」としたのは晩年のことで、「塔中秘事」の元像とは風が吹き抜けるような〈わらひ〉だったのでしょう。

 ■蛯名啓四郎「四階倉庫物語」(抜粋)

  (前略)四階建であるので自然に一般的に「四階倉庫」(しかいそうこ)と称すが、実は穀物倉庫では三番目に建てられたので、帳簿上では〈第三号倉庫〉となっている。戸締まりの鍵札も〈第三号の鍵〉と書かれてあった。吾々は業務上第三倉庫と常に言っていたが、一般には四階倉庫で通った。

  (四階倉庫は)東西十間、南北八間、母屋八十坪の四階建白木造りの殿堂に二階、三階、四階は四方ガラス窓であり朝日が昇る時刻には篠木方面から見た外来人夫(日雇人夫)等の話では「朝日に燃えているようできれいだった」と言う。又屋根の上にある二本の避雷針は天を衝くように又太陽の光を受けて眩しいほどの御光を放って一目をひいた。(中略)

  かように外観がすばらしいのみならず四階倉庫にはエレベーターやエスカレーター、それに四階と二階の間にすてきな斜形の樋(とい)が四本通っているなど…斬新な施設が完備されていた。又四階倉庫は多目的倉庫であった。例えば大豆や玉蜀黍の製袋(荷造り)又は重労働に耐えない妊産婦(補女)達の大豆選種作業や踊りのけいこ、花見、月見の宴会の場となり…展望台代りとなって…山火事の際にも火の見やぐらのかわりに利用されたこともあった。(以下略)


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