2010年 3月 15日 (月)

       

■ 〈古都の鐘〜ウイーンからの便り〉40 チャペック・鈴木理恵
  ショパンに寄せて

     
  ウィーン中心部コールマルクト9番地、建物は新しくなっているが、この4階と5階にショパンが1830年から31年にかけて8カ月住んだ(中央奥の建物)  
 
ウィーン中心部コールマルクト9番地、建物は新しくなっているが、この4階と5階にショパンが1830年から31年にかけて8カ月住んだ(中央奥の建物)
 
  今年はご承知の通り、シューマンのみならずショパンが生まれて200年目。わたしもこれらの作曲家の作品をリクエストされることが多くなり、ショパンのバラード1番を20年以上ぶりに取り出して弾いている。何だか初恋の人に会ったような、ちょっと気恥ずかしい感じもあるのだが、その再会を素直に喜んでいる。

  遠い昔、まだムズカシイ曲を弾ける技量も持ち合わせていなかった幼いころ、ショパンはあこがれの作曲家であった。初めて弾いたのは何だったか、幻想即興曲だったか、スケルツォだったか。何とか弾けるようになった誇りと喜びにあふれ、音楽の流れる美しさに酔いしれて、練習するのが実に楽しかったと覚えている。

  ショパンというのは、ピアニストにとってどこか特別な存在ではないかと思う。パガニーニやヴィエニャフスキーがバイオリンなしにその音楽を考えられないように、ショパンの作品はピアノという楽器を抜きにどうしても語れないものがある。ピアノがなければ、作品は元より作曲家としてのショパンの存在さえ、ひょっとするとあり得なかったのではないか。

  ショパンを弾くとなると、ある意味テンペラメントとか感受性がないと、のっぺりした演奏になってしまって面白味がないので、頭で考えて弾くと逆に弾けなくなってしまう部分がある。一方そのやり方でバッハやモーツァルト、ベートーベンなどドイツ語圏のものを弾くと、薄っぺらい音楽になってしまう。世の中にはショパンを弾くピアニストと弾かないピアニストというのがいるが、その理由もこの辺りにあると思う。

  パリからウィーンにわたしが移ってきてはや10年、それぞれの音楽の作り方、在り方の違いに当初困惑を覚えたものだった。

  一言で乱暴に言ってしまうなら発音の違いだろうか。アーティキュレーションとも言う。言葉に例えてみるのなら、フランス語とドイツ語の違いを思い浮かべてほしい。ボンジュールがグーテン・タークである。フランス語の流れるような柔らかさとドイツ語のがっしりとした重み、これが南下してバイエルンからオーストリアになってくるとグリュース・ゴットとなって、がっしりも少し崩れてなめらかになってくるのだが。

  その違いは音楽にも現れるもので、ドイツ語圏では、はっきりアーティキュレーションをつけないと気が済まないというのか、そうでないと意味が通じないというのか、何がなんだかわからないというようなことになる。

  ウィーンに来て間もなく室内楽のリハーサルをした時も、その辺りを音楽仲間からイタイほどつつかれた。このフレーズとこのフレーズは別のものだから分けなければいけないなど、「ねばならぬ」が多いのである。ただきれいに弾けばいいのではない、意味を大事にしなくてはならないのである。

  そこに関してはフランスではもっとおうようと言おうか、きれいに流れていることが美であるという感じがあったから、こう言っては少し語弊があるかもしれないが、意味というより感覚的なことや表面的な美しさにもっと重きが置かれていたように思える。

  ショパンは、音色の面でもテクニカルな面でも曲の構造的な面でも、フランス音楽と相通じるものが多いから、プログラムを組んでもばっちりハマる。フランス人でもショパンはポーランドというより、自国の作曲家のように思っている部分も少なくないので、ショパンは本当によく弾かれる。わたしもフランスではずいぶん弾いていた。

  ウィーンに来てからは、自然にウィーンのものに取り組むことが多くなったから、ショパンからは以前に比べ遠ざかった。ドイツ風の「ねばならぬ」ではショパンは弾けないように感じたし、スイッチの切り替えが必要であった。何よりフランスから来たわたしは、かの地で不可欠であった感覚的な喜びより、クロスワードを解くような知的な楽しみをより求めていたと思う。

  そんな紆余(うよ)曲折があって、今ショパンと新たに向き合っているところ。こういうやり方ではとても弾けないと思い込んでいたことも、うまい具合に消化されるのか、塩梅(あんばい)ということを知りつつあるのか、何かまるく収まってくるようだ。素晴らしい芸術作品というのはあらゆる角度から、嚼(か)んでも嚼んでもさらに味わうことができるのだと、そこからも感動を覚える昨今である。


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