2010年 9月 11日 (土)

       

■ 〈賢治の置き土産〜七つ森から溶岩流まで〉177 岡澤敏男 異空間にざわめく柏

 ■異空間にざわめく柏

  短篇「沼森」は地質調査で訪れた小世界でしたが、交感した沼森の異空間が賢治に深く刷り込まれたのでしょう。同時期に書かれたもう一つの短篇「柳沢」にも沼森が顔を出している。大正6年10月中旬。弟たちを連れ岩手山に登ろうとして午前2時半ころに柳沢の宿を出発して登山道を馬返しに向かったが、暗夜の迷路で立ち往生しやむなく宿に引き返すことになった。その迷路で賢治は次のように独白している。
 
  (ふん、あれがさつきの柳沢の杉だ。
   何だ沼森の坊主め、ケロリとして睡つてやがる)
  また『春と修羅』の詩篇「風林」(大正11年6月3日)にもつぎの三行の詩句が挿入されている。この詩句は先駆稿(「夜と柏」)にはなかったが「風林」と改稿した際に挿入したとみられる。
 
  柳沢の杉はコロイドよりもなつかしく
  ぼうずの沼森のむかふには
  騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
 
  この詩篇は花巻農学校の生徒を連れ岩手登山行をした際に「白い鳥」(同年6月4日)とともに亡妹トシの魂魄と交感する〈無声慟哭〉収録の作品です。

  このように、賢治は「迷路」に困憊(こんぱい)した際にも亡妹トシの「魂魄」を希求する詩篇においても、あたかも体内地図のバロメーターであるかのごとく「沼森」を出現させているのです。それは大正9年5月の嘉内宛書簡においても同様です。「銀河が南の雲のきれまから一寸見え、沼森は微光の底に睡ってゐる」とある二人で登った岩手山の途次で遠望した「沼森」の夜景も、嘉内に宗教心を喚起させようとする賢治の内的風信計だったのです。

  この短篇の異空間には柏林がしきりにざわつくのが目立ちます。「柏はざらざら雲の波」とは坊主の沼森が機嫌が悪くメランコリックになった賢治を柏の霊気がいたわるさま。また文末を「鳴れ鳴れかしは」と結んだのは、柏によって気持ちを鼓舞させようとしているのでしょう。

  このように「沼森」で交感した異空間の柏の存在もまた賢治に深く刷り込まれていくのです。短篇「柳沢」では迷路で困憊する賢治に「柏の枯れ葉がざらざら鳴って」いたし、詩篇「風林」ではトシの魂魄のおとずれを柏が告げて「やつぱりさうだ/月光は柏のむれをうきたたせ/かしははいちめんさらさらと鳴る」と述べているのです。

  もうひとつ、短篇「沼森」における柏の位相について注意したい点がある。それは沼森平の陰気な気分を泥炭の地質に基づくと気がつき「もう夕暮れも間近いぞ。柏の踊りも今夜だめだ」と述べていることです。

  この「柏の踊り」の発想は童話「かしはばやしの夜」(大正10年8月24日作)に通じており、「童話形成の萌芽を示すもの」と続橋達雄氏が『宮沢賢治・童話の世界』で指摘している。「沼森」の原体験は大正5年7月の地質調査時だが、「柏の踊り」の発想は4年後の短篇「沼森」(9年9月)で生み、その約1年後の10年8月に童話「かしはばやしの夜」のドラマが成立するのです。だがこの発想の源流となる作品が「大正六年四月」の歌稿にひそかに詠まれているのです。

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