2010年 9月 12日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉18 望月善次 錦木塚(その2)

 「錦木塚」全4回のうち、分量の関係から、詩の本文は3回に分けての掲載としたい。今回はその第一の「にしき木の巻」。所謂「序歌」に相当しようか。
 
槙原(まきばら)に夕草床(ゆふぐさどこ)布(し)きまろびて
淡日影(あはひかげ)旅(たび)の額(ぬか)にさしくる丘(おか)、
千秋(ちあき)古(ふ)る吐息(といき)なしてい湧(わ)く風(かぜ)に
ましら雲(くも)遠(とほ)つ昔(かみ)の夢(ゆめ)とうかび、
彩(あや)もなき細布(ほそぬの)ひく天(あま)の極(きわ)み、
ああ今(いま)か、浩蕩(おほはて)なる蒼扉(あをど)つぶれ
愁(うれい)知(し)る神(かみ)立(た)たすや、日(ひ)もかくろひ、
その命令(よぎ)の音(おと)なき声(こえ)ひびきわたり、
枯枝(かれえだ)のむせび深(ふか)く胸(むね)をゆれば
窈冥霧(かぐろぎり)わがひとみをうち塞(ふさ)ぎて、
身(み)をめぐる幻(まぼろし)、│そは百代(もゝよ)遠(とお)き
辺(へ)つ国(くに)の古事(ふるごと)なれ。ここ錦木塚(にしきぎづか)。
 
立(た)ちかこみ、秋(あき)にさぶる青垣山(あをがきやま)、
生(い)くる世(よ)は朽葉(くちば)なして沈(しず)みぬらし。
吹鳴(ふなら)せる小角(くだ)の音(おと)も今(いま)流(なが)れつ、
狩馬(かりうま)の蹄(ひづめ)も、はた弓弦(ゆづる)さわぐ
をたけびもいと新(あら)たに丘(をか)をすぎぬ。
天(あま)さかる鹿角(かづの)の国(くに)、遠(とほ)いにしへ、
茅葺(かやぶき)の軒(のき)並(な)めけむ深草路(ふかくさぢ)を、
ああその日(ひ)麻絹(あさぎぬ)織(お)るうまし姫(ひめ)の
柴(しば)の門(かど)行(ゆ)きはばかる長(をさ)の若子(わくご)、
とぢし目(め)は胸戸(むなど)ふかき夢(ゆめ)にか凝(こ)る、
うなたれて、千里(ちさと)走(はし)る勇(いさ)みも消(き)え、
影(かげ)の如(ごと)たどる歩(あゆ)みうき近(ちか)づき来(く)る
和胸(やはむね)も愛(あい)の細緒(ほそを)繰(く)りつむぐか、
はた秋(あき)の小車(をぐるま)行(ゆ)く地(ち)のひびきか。
梭(をさ)の音(おと)せせらぎなす蔀(しとみ)の中(なか)
愁(うれ)ひ曳(ひ)く歌(うた)しづかに漂(ただよ)ひくれ。
え堪(た)へでや、小笛(おぶえ)とりて戸(と)の外(そと)より
たど〓〓に節(ふし)あはせば、歌(うた)はやみぬ。
くろがねの柱(はしら)ぬかむ力(ちから)あるに
何(なに)しかもこの袖垣(そでがき)くぢきえざる。
恋(こい)つつも忍(しの)ぶ胸(むね)のしるしにとて
今日(きょう)もまた錦木(にしきぎ)立(た)て、夕暗路(ゆふやみぢ)を、
花草(はなぐさ)にうかがひよる霜(しも)の如(ごと)く、
いと重(おも)き歩(あゆ)みなして今(いま)かへり去(さ)るよ。
 
八千束(やちづか)のにしき木(ぎ)をばただ一夜(ひとよ)に
神(かみ)しろす愛(あい)の門(かど)に立(た)て果(は)つとも、
束縛(いましめ)の荒縄(あらなは)もて千捲(ちまき)まける
女(め)の胸(むね)は珠(たま)かくせる磐垣淵(いはがきぶち)、
永(なが)き世(よ)を沈(しず)み果(は)てて、浮(う)き来(こ)ぬらし。
真黒木(まくろぎ)に小垣(をがき)結(ゆ)へる哭沢辺(なきさはべ)の
神社(もり)にして、三輪(みわ)据(す)え、祈(の)る奈良(なら)の子(こ)らが
なげきにも似(に)つらむ我(あ)がいたみはもと、
長(をさ)の子(こ)のうちかなしむ歌(うた)知(し)らでか、
梭(おさ)の音(おと)胸(むね)刻(きざ)みて猶(なお)流(なが)るる。
男(を)のなげく怨(うら)みさはに目(め)にうつれば、
涙(なみだ)なす夕草露(ゆふくさつゆ)身(み)もはらひかねつ。
 
  にしき木の巻〔現代語訳〕
 
(私は)杉の林の中、夕方の(敷布を広げるような)柔らかな草の上に、寝転んでいるのです、
ここは、(夕方の)淡い陽の光が、私の額に差して来る丘なのですが、
(ここには)何千年にも渡る吐息のように湧いてくる風が吹き
(目を空に転ずると)真っ白な雲が遠い昔の夢かとばかりに浮かび
(その雲は)色もない(真っ白な)(あの政子が織ったという)「細布」が空の果てまで棚引いています。
ああ、今でしょうか、何処までも広く大きく広がる(その天の)青い扉も壊れ
全てを治める神がお立ちになるのでしょうか、(その神の威光に)太陽も隠れ
神の命令の声は、「音無き音」として響き渡り
枯れ枝の咽び声も、深く(私の)胸を揺すり
暗く立ち込めた霧は、私の瞳を塞いで
私の周りに、幻は立ち込めるのです。│ それは、随分と遠い
辺境の地の古事なのです。ここは、(それを伝える)錦木塚なのです。
 
周りを囲み、秋になると荒れて寂しくなる「青垣山」よ
(その若葉が)生きていた時は、枯葉となって沈んだようです。
昔、吹き鳴らしていた小角(くだ)の音は今も流れながら、
狩の馬の蹄の音も、また弓も音も
雄叫びも、大層新しく、この丘を過ぎたのです。
都からは遠く離れた鹿角の国、遠い昔(のことです。)
茅葺の軒が並んだ深い草の道を
ああ、その麻の布(細布)を織る美しい姫の
(その家の)柴の門を憚るようにして行く、村の長の若者よ
その閉じた目は、胸深い夢に固まっているのでしょうか
(恋の思いに)項垂れて、千里を走る勇気も消え
影のように辿りながら歩く足音は、浮かびあがり
   (私の方に)近づいてくるのです。
(政子の)柔らかい胸は、愛の細い糸を紡いでいるのでしょうか。
(聞こえてくるのは)それとも、秋の小車が行く地の響きなのでしょうか。
(機織りの)オサの音がせせらぎのように鳴る蔀(しとみ)の中
愁いをもって弾く歌が静かに漂ってくるのです。
ああ、(私、長の子は)どうして堪えることができましょうか、
   小さな笛をとって
おずおずと(政子の弾く)その節に合わせると、歌は止んでしまいました。
鉄の柱さえ引き抜く力のある私ですのに
どうして、この(低い)袖垣を挫くことができないのでしょうか。
恋をしながらも、じっと堪えている胸の思いの印として
今日もまた錦木を立て、夕闇の道を
花草の様子をみながら降りる霜のように
大変重い歩みで、今、帰って行くのです。
 
八千本の錦木を、只一夜に
神が統御されている愛の門に立て果たしたとしても
縛めの荒縄をもって千回も巻いている
女性の胸は、珠を隠している絶壁に囲まれた淵で
皮付きの丸木に垣根を巡らしている(奈良の)哭沢の
神社で、(亡くなった高市の皇子のために)甕を据えて祈る奈良の人達の
嘆きにも(どちらも効き目がない点で)似ている私の心の痛みは、
村の長の子の悲しむ歌を知らないのか
(機織りの)オサの音は、(村の長の子の)胸を刻んで、なお流れている。
男の嘆く恨みがはっきりと目にうつるものですから、
涙の夕べの草の露を払いかねているのです。

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