2010年 9月 28日 (火)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉22 望月善次 落瓦(おちがわら)の賦(ふ)

 故郷の小寺における銅鉦の音が、盛岡の学校に在籍していた、数年前の秋の一日、友人と有名な古寺を訪ねたことを思い出させる。闇と惑いの中に、一条の光に憧れる思いは、「落ち瓦」にも似たものなのです。
 
  《幾年(いくとし)の前(まえ)なりけむ、猶(なお)杜陵(とりょう)の学舎(がくしゃ)にありし頃(ころ)、秋(あき)のひと日(ひ)友(とも)と城外(じょうがい)北邱(ほくきゅう)のほとりに名(な)たゝる古刹(こさつ)を訪(と)ひて、菩提(ぼだい)老樹(ろうじゅ)の風(かぜ)に嘯(うそ)ぶく所(ところ)、琴者(きんじゃ)胡弓(こきゅう)を按(あん)じて沈思(ちんし)頗(すこぶ)る興(きょう)に入(い)れるを見(み)たる事(こと)あり。年(とし)進(すす)み時(とき)流(なが)れて、今(いま)寒寺(かんじ)寂心(じゃくしん)の身(み)、一夕(いっせき)銅鉦(どうしょう)の揺曳(ようえい)に心(こころ)動(うご)き、追懐(ついかい)の情(じょう)禁(きん)じ難(がた)く、乃(すなわち)筆(ふで)を取(と)りてこの一篇(いっぺん)を草(そう)しぬ。》
 
時(とき)の進(すす)みの起伏(おきふし)に
《かの音(おと)沈(しず)む磬(けい)に似(に)て、》
反(そ)れて千年(ちとせ)をかへらざる
法(のり)の響(ひゞき)を、又(また)更(さら)に、
灰(はい)冷(ひ)えわたる香盤(かうばん)の
前(まえ)に珠数(じゆず)繰(く)る比丘尼(びくに)らが
細(ほそ)き頒歌(しようか)に呼(よ)ぶ如(ごと)く、
今(いま)、草(くさ)深(ふか)き秋(あき)の庭(にわ)、
夕(ゆう)べの鐘(かね)のただよひの
幽(かす)かなる音(ね)をともなひて、
古(ふ)りし信者(しんじや)の名(な)を彫(ゑ)れる
苔(こけ)も彩(あや)なき朽瓦(くちがはら)、
遠(とお)き昔(むかし)の夢(ゆめ)の跡(あと)
語(かた)る姿(すがた)の悵(いた)ましう
落(お)ちて脆(もろ)くも砕(くだ)けたり。
 
立(た)つは伽藍(がらん)の壁(かべ)の下(もと)、│
雨(あめ)に、嵐(あらし)に、うたかたの
罪(つみ)の瞳(ひとみ)を打(うち)とぢて
胸(むね)の鏡(かゞみ)に宿(やど)りたる
三世(さんぜ)の則(のり)の奇(く)しき火(ひ)を
怖(おそ)れ尊(とう)とみ手(て)を合(あ)はせ
うたふて過(す)ぎし天(あめ)の子(こ)の
袖(そで)に摺(す)れたる壁(かべ)の下(もと)。│
ゆうべ色(いろ)なく光(ひかり)なく
白(しろ)く濁(にご)れる戸(と)に凭(よ)りて、
落(お)ちし瓦(かはら)の破片(かけ)の上(うえ)
旅(たび)の愁(うれい)の影(かげ)淡(あわ)う
長(なが)き袂(たもと)を曳(ひ)きつつも、
転手(てんじゆ)やはらに古琴(ふるごと)の
古調(こちやう)一弾(いちだん)、いにしへを
しのぶる歌(うた)を奏(かな)でては、
この世(よ)も魂(たま)ももろともに
沈(しず)むべらなる音(ね)の名残(なごり)
わづかに動(うご)く菩提樹(ぼだいじゆ)の
千古(せんこ)の老(おい)のうらぶれに
咽(むせ)ぶ百葉(もゝは)を見(み)あぐれば、
古世(ふるよ)の荒廃(すさみ)いと重(おも)く
新(あら)たに胸(むね)の痛(いた)むかな。
 
あはれ、白蘭(はくらん)谷(たに)ふかく
馨(かほ)るに似(に)たる香(かう)焚(た)いて、
紫雲(しうん)の法衣(はふえ)揺(ゆ)れぬれば、
起(おこ)る鉦鼓(しやうこ)の荘厳(おごそか)に
寂(さ)びあるひびき胸(むね)に泌(し)み、
すがた整(とゝの)ふ金龍(こんりゆう)の
燭火(ともし)の影(かげ)に打(うち)ゆらぐ
宝樹(ほうじゅ)の柱(はしら)、さては又(また)
ゆふべ〓〓を白檀(びやくだん)の
薫(かほ)りに燻(けぶ)り、虹(にじ)を吐(は)く
螺鈿(らでん)の壁(かべ)の堂(どう)の中(うち)、
無塵(むじん)の衣(ころも)帯(おび)緩(ゆる)う
慈眼(じげん)涙(なみだ)にうるほへる
長老(ちやうらう)の呪(じゆ)にみちびかれ、
裳裾(もすそ)静(しず)かにつらなりて、
老若(らうじやく)の巡礼(じゆんれい)群(むれ)あまた、
香華(かうげ)ささぐる子(こ)も交(まじ)り、
礼讃(らいさん)歌(うた)ふ夕(ゆふ)の座(ざ)の
百千(もゝち)の声(こえ)のどよみては、
法(のり)の栄光(さかえ)の花(はな)降(ふ)らし、
春(はる)の常影(とかげ)の瑞(みづ)の雲(くも)
靆(なび)くとばかり、人心(ひとごころ)
融(と)けて、浄土(じやうど)の寂光(じやくくわう)を
さながら地(つち)に現(げん)じけむ
驕盛(ほこり)の跡(あと)はここ乍(なが)ら、
《信(しん)よ、荒磯(ありそ)の砂(すな)の如(ごと)、
もとの深淵(ふかみ)にかくれしか、
果(は)たや、流転(るてん)の『時(とき)』の波(なみ)
法(のり)の山(やま)をも越(こ)えけむか。》
残(のこ)んの壁(かべ)のたゞ寒(さむ)く、
老樹(らうじゆ)むなしく黙(もく)しては、
人香(ひとが)絶(た)えたる霊跡(れいぜき)に
再(ふたたび)び磬(けい)の音(ね)もきかず、
落(お)つる瓦(かわら)のたゞ長(なが)き
破壊(はゑ)の歴史(れきし)に砕(くだ)けたり
 
似(に)たる運命(さだめ)よ、落瓦(おちがはら)。
《めぐるに速(はや)き春(はる)の輪(わ)の
いつしか霜(しも)にとけ行(ゆ)くを、》
ああ、ああ我(われ)も琴(こと)の如(ごと)、│
暗(やみ)と惑(もど)ひのほころびに
ただ一条(ひとすじ)のあこがれの
いのちを繋(つな)ぐ光(ひかり)なる、│
その絃(いと)もろく断(た)へむ日(ひ)は、
弓弦(ゆづる)はなれて鵠(かう)も射(ゐ)ず、
ほそき唸(うな)りをひびかせて
深野(ふけの)に朽(く)つる矢(や)の如(ごと)く、
はてなむ里(さと)よ、そも何処(いずこ)。
 
琴(こと)を抱(いだ)いて、目(め)をあげて、
無垢(むく)の白蓮(しらはす)、曼陀羅華(まんだらげ)、
靄(もや)と香(か)を吹(ふ)き霊(れい)の座(ざ)を
めぐると聞(き)ける西(にし)の方(かた)、
涙(なみだ)のごひて眺(なが)むれば、
澄(す)みたる空(そら)に秋(あき)の雲(くも)
今(いま)か黄金(こがね)の色(いろ)流(なが)し、
空廊(くうらう)百代(もゝよ)の夢(ゆめ)深(ふか)き
伽藍(がらん)一夕(いつせき)風(かぜ)もなく
俄(には)かに壊(くづ)れほろぶ如(ごと)、
或(ある)は天授(てんじゆ)の爪(つま)ぶりに
一生(ひとよ)の望(のぞ)み奏(かな)で了(を)へし
巨人(きよじん)終焉(をはり)に入(い)る如(ごと)く、
暗(やみ)の戦呼(さけび)をあとに見(み)て、
光(ひかり)の幕(まく)を引(ひ)き納(をさ)め、
暮暉(ゆうひ)天路(てんろ)に沈(しず)みたり。
         《甲辰(きのえねたつ)二月十六日夜》
 
  「落瓦の賦」(おちがわらのふ)〔現代語訳〕
 
(何年前のことだったでしょうか。まだ、盛岡の学校に在籍しておりました頃、秋の一日、友人と盛岡の北の丘にあるの有名な古寺を訪れて、菩提樹の老木に風が鳴り、胡弓を弾く人は、何か一心に物思いに沈んでいるのを、見たことがありました。年月がたって、今は小さな寺に寂しい心を養う身になっておりますが、或る夕べ、銅鉦の音の漂いに心が動き、追憶の情を抑えきれず、筆をとってこの一編を作ったのです。)
 
時間が進む毎日の
《あの沈むような音のケイにも似て》
(本来の姿から)逸脱してしまって千年も帰らない
法(のり)の響きを、また
灰が冷えた香炉の
その前に、数珠をまさぐる比丘尼達の
細い声の頌め歌で呼ぶように
今、草も深い秋の庭に
夕方の鐘が漂い
かすかな音をもって
古くなった信者の名前を彫った
苔さえも色がないほど古い瓦が、
(遠い昔の夢の跡を
語る姿もいたましく)
落ちてもろくも砕けたのです。
 
私の立っているのは伽藍の壁の下│
すなわち、雨に、嵐に、はかない
罪の瞳を閉じて
胸の鏡に宿った
過去・現在・未来に渡る不可思議な火を
恐れ、また尊んで手を合わせ
褒め称えて過ぎて行った天の子である僧侶の
袖に摺れた壁の下に│
(秋の)夕べ、色も光もなく
(長い年月に)白く濁った戸に寄りかかって
落ちた瓦の破片の上
旅の愁いの影も淡く
長い袂を曳きながら
(弦の調子を調整する)転手を柔らかく、古い琴(胡弓)で
古い曲を一曲、昔を
偲ぶ歌を弾いて
この世も魂も共に
沈むような音の名残に
僅かに動く菩提樹は
本当に古い昔の老いのような落ちぶれて
咽ぶ沢山の葉を見上げると
長い年月による荒廃の様子は激しく
新しく胸が痛む思いがするのです。
 
ああ、白い蘭が谷間も深く
香るのにも似る香を炊いて
紫雲の法衣が揺れると
起こる鉦鼓の荘厳さに
寂びしさを伴った響きが胸に沁みて
姿が整っている金の竜のように
蝋燭の灯の影に揺らぐ
(極楽浄土にある樹木である)宝樹の柱、また
夕べ毎、白檀の
薫りに煙り、虹を吐く
螺鈿の壁の堂の中で
穢れもない衣帯を緩くし
慈悲の眼も潤っている
長老の呪文に導かれ
着物の裾を並べて
老若の巡礼が沢山の群れをなし
そこには、香や花を捧げる子どもも混じり
(仏・法・僧や教典を讃える)あの「礼讃」を歌う夕方の
大勢の人の声は響き合い
仏法の栄えの花を降らし
春の優しい影で幸いさきがけの雲に
なびくように、人心も
溶けて浄土の真実の光
そのままに、この地上に現出するでしょう。
栄華を誇った跡はここではあるが
《信仰よ、お前は、荒磯の砂のように
もとの深淵に隠れたのでしょうか、
また、流転の「時」の波が
仏法の山をも越えたのでしょうか。》
昔の名残の壁は、ひたすら寒く
菩提樹の老樹も空しく沈黙し
人も香の匂いも亡くなってしまったこの霊の跡に
再びあのケイの音も聞かず
落ちた瓦は、ひたすら長い
破壊の歴史に砕けたのです。
 
似た運命です、落ち瓦は
《廻ってくるのも早い春の輪も
いつかは霜に溶けて行くのですが》
ああ、私も胡弓のように│
闇と惑いの綻びに
ただ一筋のあこがれが
いのちを繋ぐ光なのです│
(胡弓と弓との)その糸が脆くも切れる日には
弓を離れて鵠も射ることはできず
細い唸りを響かせて
草深い野に無くなってしまう矢のように
終わりになってしまうような里、それは何処にあるのですか。
 
胡弓を抱いて、目を上げて
穢れを知らない白い蓮よ、曼荼羅華よ
靄と香とを吹いて、霊の座を
廻ると聞く西の方向を
涙をふいて眺めると
澄んだ空に秋の雲が
今や黄金の色を流し
人影も無い(寺の)廊下の何代もの夢も深く
この伽藍にはこの夕べ風もなく
僅かに崩れて滅ぶように
或いは、天から授けられた演奏振りに
一生の望みを演奏し終わり
巨人が終わりに入るように
(後から追いかけてくる)闇の叫びを後ろに見て
光の幕を引いて
夕日は天の路に沈んだのです。
〔明治三十七年二月十六日夜〕

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