2010年 9月 30日 (木)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉23 望月善次 山彦

 山彦、それは、私の歌の余韻かと思っていたのですが、この5月の森の中で聞くと、私の歌の方が、山彦の余韻かとも思われるのです。
 
花草(はなぐさ)啣(ふく)みて五月(さつき)の杜(もり)の木蔭(こかげ)
囀(てん)ずる小鳥(ことり)に和(あは)せて歌(うた)ひ居(お)れば、
伴奏(ともない)仄(ほの)かに、夕野(ゆうや)の陽炎(かげろうふ)なし、
『夢(ゆめ)なる谷(たに)』より山彦(やまびこ)ただよひ来(く)る。―
春日(はるび)の小車(をぐるま)沈(しづ)める轍(わだち)の音(ね)か、
はた彼(か)の幼時(えうじ)の追憶(おもひで)声(こえ)と添(そ)ふか。―
緑(みどり)の柔息(やはいき)深(ふか)くも胸(むね)に吸(す)ひて、
黙(もだ)せば、猶(なお)且(か)つ無声(むせい)にひびき渡(わた)る。
 
ああ汝(なれ)、天部(てんぶ)にどよみて、再(ま)た落(お)ち来(こ)し
愛歌(あいか)の遺韻(ゐいん)よ。さらずば地(つち)の心(しん)の
瑯●(ろうかん、かんは王へんに干)無垢(むく)なる虚洞(うつろ)のかへす声(こえ)よ。
山彦(やまびこ)!今(いま)我(わ)れ清(きよ)らに心(こころ)明(あ)けて
ただよふ光(ひかり)の見(み)えざる影(かげ)によれば、
我(わ)が歌(うた)却(かへ)りて汝(な)が響(ね)の名残(なごり)伝(つた)ふ。
               〔甲辰(きのえたつ)二月十七日〕
 
  山彦〔現代語訳〕
 
花や草を、口にくわえ、五月の森の木蔭で
しきりに鳴く小鳥に合わせて、(私が)歌っていると、
伴奏のように仄かに、(夕べの野は陽炎をなし)、
まるで『夢のような谷』から、山彦が漂って来るのです。―
(ああこれは)小車にも喩えられる春の日が、沈んで行く轍の音なのでしょうか、
或いは、あの幼い時の思い出が声となって近づいて来たのでしょうか。―
(この「五月の森」の)緑の柔らかい息を深く胸に吸って、
静かさの中に浸っていますと、(山彦の方も)やはり、声無きままに響き渡るのです。
 
ああお前山彦は、天界に響き渡って、そこから、再び落ちて来た、
(小鳥の囀りに合わせて歌った私の)愛しい歌の余韻なのでしょうか。大地の中心にある(青碧色の)宝玉瑯●(王へんに干)が作る無垢な虚洞へ返す声でしょうか。
山彦よ!今、私は、清らかに心を明けて
(この空間に)漂っている光の見えない影に寄り添うと、
(山彦が私の歌の名残だと思っていたのに)逆に、私の歌の方が、お前(山彦)の響きの 余韻を伝えているのかと思うのです。
               (明治三十七年二月十七日)

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