盛岡タイムス Web News 2010年 12月 15日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉207 伊藤幸子 「酒、山頭火」

 しぐるるやしぐるる山へ歩み入る  種田山頭火
 
  自由律、放浪の俳人として人気の高い山頭火。代表作「うしろすがたのしぐれてゆくか」を始め、「分け入つても分け入つても青い山」「やつぱり一人がよろしい雑草」「やつぱり一人はさみしい枯草」等、いつのまにか人の心深く入り込み、特異な句境を広げてゆく。

  すでに伝説の人になりつつある俳人だが、その生いたちから生涯をたどってみると、「歩かない日はさみしい/飲まない日はさみしい/作らない日はさみしい」とつぶやく内面の弱さを抱えた酒徒の面影がゆらぎ立つ。

  本名種田正一。明治15年、山口県防府市生まれ。近隣の人々から「大種田」と呼ばれるほどの素封家で、「しようさま」と慈しまれた幼少期をすごす。そんな中での突然の母の自殺。父竹治郎の遊蕩が原因で、32歳の母が井戸に身を投げた衝撃は11歳の彼に焼きつき、終生つきまとうものとなった。

  明治35年早稲田大学に入学するが神経衰弱で退学、家は破産。のちに彼は「最初の不幸は母の自殺。第二は酒癖、第三は結婚、そして父となったこと」と書く。結婚し、子にも恵まれたなら人並みに暮らせば不幸の影などさす隙もあるまいと思われるのに、血が騒ぐ。

  妻子を捨て、関東大震災も体験し、大正14年、熊本の禅寺にて出家得度。すでに44歳になっていた。だがここでも方向変換してしまう人である。永平寺で本式の修業をつむようにと望月義庵和尚に一切の用意をしてもらったのに彼の足は本山に向かわず旅路を選びとる。酒が禁じられる修業は堪えがたいとばかりに、彼の流転は大正15年から昭和7年まで及ぶ。

  「昭和七年、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけてそこに移り住むことができた。私は酒が好きであり水もまた好きである。(中略)これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水|それが私の境涯でなければならないから。」「其中日記」より。

  九州四国、山陰山陽と行方も定めぬ旅の幾年。昭和15年春、山頭火は松山の句会に居た。10月11日早朝、俳人達がかけつけたとき、なんと心臓麻痺で息たえていたという。享年59。生前の作一万句、句集7巻。「ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜」しぐれの夜はひとしお身にしむ山頭火の世界である。
(八幡平市、歌人)


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