盛岡タイムス Web News 2011年 3月 16日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉220 伊藤幸子 グランドの霧

 犬を呼ぶアルトの声の流れきて静かに移るグランドの霧
                         小野寺洋子
 
  岩手県歌人クラブ編、年刊歌集「短歌いわて2005」より。この年、各10首350名の応募があり、小野寺洋子さんの「霧」他3名の作品賞が発表された。昭和6年生まれ、短歌全国誌「長風」と岩手の「北宴」に30年余を刻む長い歌歴の実力派歌人だった。

  私は今「だった」と、過去形で語ることの残酷さにうちのめされている。あんなにもたおやかで俗塵のない歌人のたたずまいがこの冬1月の深夜に、眠ったまま終焉されたことにいまだに信じられずにいる。

  「ひび入りしまま使ひつぐマグカップいつよりか運逃しやすくて」「運がふと後姿を見せし日も入日はいつもと同じかがやき」そして数年前「わが干支の羊の根付つけし鍵終章のドアいかに開くるや」の歌は、県公会堂の月例歌会でパーフェクトに近い高点歌となった。端正なスーツ姿の洋子さんに「終章のドアなんて」とみんな軽く明るく笑った。歌会の日は朝方少し体調がすぐれない時もあったりで、好摩のお宅に私が車で迎えに行き、盛岡まで走る。渋民街道は信号も標識もなく、何度通っても右、左?と彼女に問い、その度笑って教えてくれた。彼女は50年近い運転歴でどんなにか助手席でハラハラされたことだろう。心臓の持病がおありだったがはたに感じさせることはなく、スポーツの歌も多かった。

  「秋たけし緑濃きターフを疾駆するディープインパクト光まといて」「ひしと抱くボールと共に走り込むラガーマンは春の日集め」など、ことにも名馬の話になると馬主さんかと思わせるほど専門的で熱く燃える人だった。

  「一息にどんな蓋でも開けくれし大き掌還る梅雨寒の朝」若く、死別された背の君のことはあまり語られず、大き掌は大き悲しみを包んで静かにほほえむ姿が忘れられない。

  「北宴」誌上にずっと作品を寄せられ、晩年となった平成22年8月号に「ひとひらも未だ散らざる桜花樹下に佇み深く息なす」「振り向かず行かんと思うその先はラベンダー畠しばらく続く」等7首が絶詠となった。花の春を待たず、振り向かず逝ってしまわれた洋子さん。陽気がよくなったらまた歌会のお誘いに、好摩方面にハンドルを切りたくなりそうだ。もうすぐお彼岸の入りである。

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