盛岡タイムス Web News 2011年 3月 24日 (木)

       

■ 被災者「初めて風呂に入った」 紫波町が107人受け入れ

     
  志和公民館に移った被災者たち  
 
志和公民館に移った被災者たち
 
  紫波町は津波被害の被災者を受け入れた。23日午前9時現在で107人。土舘の志和公民館に80人、知人や親戚などに27人が分宿している。志和公民館には町職員や社会福祉協議会の関係者、ボランティアら約30人が配置され、食事や衣類、日用品、健康状態を見て病院への送迎などを手伝っている。被災して以来の風呂。暖かい布団で寝た被災者たちは「平凡な幸せのありがたさを感じている。今はこれで十分に満足、足りないものはない」と話していた。

  同町では震災発生直後から長年交流のある大槌町の支援対策を検討。NPO法人風・波・デザイン、町社会福祉協議会、町の3者が連携したボランティアサポートセンターを立ち上げ、18日から支援物資の提供を町民に呼びかけた。

  ボランティアの派遣、支援物資の輸送などに取り組み、町として町内9地区の地区公民館、勤労青少年ホーム、総合運動公園内の自転車管理棟で短期1カ月350人、長期2カ月250人の被災者を受け入れる。

  避難している107人は大槌町が大半だが、釜石市、大船渡市、山田町、福島県南相馬市の人もいる。現在のところ、厨房が充実し温泉入浴施設が近いことから志和公民館が中心となっている。

  ボランティアの理容師に散髪してもらった年配の男性は「自分は地震直後にすぐ逃げ出したから助かったが、家に残っていた人たちは津波に皆流された。現地では電気、水が不足している。自分は持病を持っており薬が心配だったが紫波町で病院に連れて行ってもらい、薬も処方してもらえた」と話していた。

  大槌町吉里吉里の前川健輔さん(19)は地震直後に家族とともに飛び出し、車に乗り込み高台の中学校に向かった、携行したのは非常食を入れたかばんと情報を知るためのラジオ。車が到着した時、津波は家々をのみ込みながら中学校の校庭に侵入した。身の危険を感じて徒歩でさらに高い場所を求めて上がった。

  「紫波町で被災してから初めて風呂に入り幸せだった。ご飯がいっぱい食べられるし、電気もついている。平凡な日常は幸せでした」と震災後の生活を振り返った。

  同地域に住む会社員女性(21)はバスに乗車し釜石市鵜住居付近を走行中に地震に遭遇した。「大槌町から釜石に抜けるトンネルを出て少し降りたところで津波。第2波が見えたので運転手さんがバックしてトンネル前で止まった。トンネルの後は水没していたのでどこにも行けなくなった。家を流された人たちがバスの中に次々と避難してきた」と話す。夜になって避難してきた知人と2人で徒歩で避難所まで歩いたという。

  津波が引いた道は大量のがれきで埋まり、泥に足を取られながら歩き続けた。「大槌町に入ると山や建物が火事になって燃え続けていた。足元にはガスボンベがあちこちに転がっていて、通るたびにプシューという音が聞こえた。避難先でいとこが2人亡くなったことを知った。とても悔しい」と話した。

  ボランティアセンターを提案した新潟大学災害復興科学センターの宮崎道名客員准教授は「公民館単位で支援できる体制をしっかり作り、同時に北東北を中心にしたサポート体制、個人で被災者を受け入れる方を募っていくことも必要。これだけの被害は誰も経験したことがないもの。現地の避難所で生活する皆さんには復興するまでの間、安全な内陸に避難してもらい支えていくしかないと思う」と話している。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします