盛岡タイムス Web News 2011年 3月 29日 (火)

       

■ 〈津波被災の現地から〉山田町 「住所がほしい」

     
  山田町の大工・佐々木誠一さんと佐々木正美さん(左から)  
 
山田町の大工・佐々木誠一さんと
佐々木正美さん(左から)
 
  震災から2週間が経過した25日、同業者の見舞いに行くという堀間組(盛岡市上飯岡)の堀間重仁社長らに同行させてもらい山田町に入った。そこで地元の棟りょうと出会った。国道45号線に沿って山田湾を南下し、道の駅「やまだ」を過ぎた同町船越に事務所を構える佐々木組の佐々木誠一社長(69)だ。

  佐々木さんが28歳で創業し、大工10人を抱えていた地元の建設業者。33年の昭和三陸地震を教訓に町境の山間部に事務所を設けたため社屋は難を逃れた。

  しかし、同地区の浦の浜海水浴場(山田湾側)と前須賀海水浴場(船越湾側)の中間地点にあった資材置き場と加工場は大津波をかぶり全滅。ヒバやヒノキ、ケヤキといった建材をはじめ、加工機もトラックもすっかり流された。地震で地盤が沈降したためか、両湾がつながった状態という。

  津波は人もさらった。釜石市での仕事から帰社途中だった社員大久保章夫さんの命を奪った。遺された9人の大工は避難所や半壊した家で寝泊りをしている。「被災者を避難所生活からいち早く独立させてやりたい」という思いで、同社が倉庫代わりに使用していた元農協船越支所を居住空間に変えるリフォームに取り掛かり始めた。

  「まず住居を確保しないと」と部長で大工の佐々木正美さん(61)。避難所生活の町民からは「おやっさん、家を建ててくれないか」という声が誠一さんへかかる。「2週間が過ぎて、みんな家に帰りたいと思うようになったのでは」と見詰める。

  大津波が襲来してから2日間、火の海となった同町。赤さびた車が生々しい。町は道路が確保できた程度で、がれきの片付けは進んでいない。長期化は必至だ。

  誠一さんと正美さんは「弱音を吐いていられない。とにかく生活を建て直し復興に向かわないと」「いつまでも役所の世話になっていられない。一人でも早く避難所を出て、独立させてやりたいという気持ちでいっぱい。いかにして避難所生活を短くできるか」と考えを巡らす。

  自衛隊の任務が終わり、ライフラインや道路が整った後は大工の腕の見せどころだ。しかし不安の方がはるかに大きい。ゼロになった建材と加工機、そして町全体の人口の減少…。

  「建材は被災地復興で優先的に回ってくると予想している。木材の加工は盛岡でできないものか」と、節のしっかりとした大きな手のひらをのぞき込む。

  腕と心を持った地元大工が、癒えない傷を背負いながらも復興の長い道のりを歩み始める姿があった。「住所がほしい」。避難住民の今を物語る。

  地元大工がいる限り復興後の町がレプリカになることはないと現地で感じた。県民がどうやって長期化する復興を支えていくべきか。支援のあり方を考える。
(菊地由加奈)

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