盛岡タイムス Web News 2011年 4月 26日 (火)

       

■ 〈熊坂義裕氏に聞く〉下 合併が生きた 田老の支援に全力

     
  前宮古市長、盛岡大学栄養科学部長の熊坂義裕さん(21日盛岡大学で)  
 
前宮古市長、盛岡大学栄養科学部長の熊坂義裕さん(21日盛岡大学で)
 
  -非常時には特にリーダーの決断、行動力が問われます。

  熊坂 まず、リーダーは「全力を挙げて支援する」というメッセージを出さなければならない。それだけで市民の安心感が違う。リーダーが元気で、職員が自分たちのために一生懸命動いてくれているということが分かる。しばらくしたら、具体的なものを出していけばいい。

  例えば、宮古の魚市場は震災後、わずか1カ月で復興した。すごいビッグニュース。驚きを持って全国へ伝わったはず。決断した漁協組合長や市長は立派だ。採算なんてどうでもいい。壊滅した魚市場が再開することが大事。市場が開いているというだけで、魚の町、海の町の市民がどれだけ勇気づけられたことか。水揚げされたスケソウダラを見て、みんな「宮古の魚だ」といって買う。漁師も船を準備してもう一度やってみようか、養殖だってやらなければという気になる。

  -復興に向け、どんな道が考えられますか。

  熊坂 宮古市は復興が早いと思う。一番の理由は市町村合併。新里と川井は無傷。総合事務所(旧役場)は電気さえ復旧すれば、普通に業務ができる状態だった。一方、田老は壊滅的な被害を受けた。1自治体であればアウトだったが、今は宮古市の1地区として市役所が全力で支援できる。市役所も浸水したがコンピューターサーバーは無事で、新里や川井の総合事務所でさまざまな証明書も発行できた。

  合併事業で旧新里村に作った給食センターも即、機能した。最大5千食ぐらい作れる。新里地区の女性の皆さんが30人、40人と集まってきて、おにぎりを握り沿岸の避難所に配ることができた。新里のトレーニングセンターも物資の補給基地になっている。市独自の判断で動いており、素晴らしいと思う。

  グリーンピア三陸みやこ(旧グリーンピア田老)を購入していたことも大きい。一発で最大の避難所になった。高台で安全、畳の部屋、厨房、大浴場、運動場、ヘリポートもある。グリーンピア田老は旧田老町が契約したが、宮古市との合併を前提に積極的に購入を進めた経緯がある。もし観光が駄目でも津波の避難所に使えばいい、10年たてば売ることもできる、安い買い物だと。結果的に役立った。敷地は300fはあり仮設住宅の建設場所にも困らない。

  一からまちづくりをしなければならない自治体では当然、市町村合併も考えていかなければ。復興のためには、それが最も早い。

  -将来を担う学生にはどんな話をしましたか。

  熊坂 盛岡大学の学生にも行方不明者、犠牲者が3人いる。大学で学べることがどんなに恵まれているか、今まで普通だと思っていた暮らし方が異常ではなかったか、そういうことを深く考えることから人生の再スタートを切ろうと呼び掛けた。

  県内では防災教育と先生方の機転で学校にいて犠牲になった子どもが一人もいなかった。

  震災によって物事を深く考え、これからの社会を作っていく多くの子どもたちが残されたことは最大の喜びであり希望だと思う。

   ◇   ◇

  【くまさか・よしひろ】弘前大医学部卒、同大医学部助手、県立宮古病院内科科長を経て87年に熊坂内科医院開業。97年宮古市長に当選。09年まで3期12年を務める。この間、社会保障審議会医療部会など政府の各種部会などで委員を歴任。10年に盛岡大学栄養科学部教授、11年4月同学部長。京都大非常勤講師、医学博士。
(馬場恵)

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