盛岡タイムス Web News 2011年 5月 3日 (火)

       

■ 〈交流を追う〉明治学院大生と大槌町吉里吉里住民 コミュニティーに教わった

     
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  たき火を囲む避難者。現実は厳しいが笑いが絶えない=吉里吉里小校庭  
   東日本大震災津波から間もなく2カ月。被災地は地域の強い絆で復興へ踏み出そうとしている。人々の日常から、にじみ出る地域の力は、都会からボランティアをしようと訪れる若い学生たちの心も育てているようだ。大槌町吉里吉里地区でボランティアに励んだ明治学院大学(本部東京)の学生たちと地域の人との交流を追った。
(馬場恵)

 「ゆりかごから墓場まで吉里吉里の人たちのすべての面倒を見る。それが祖母の思いだった。わたしたち、きょうだい4人は、ここから離れるわけにはいかない」

  4月27日。大槌町吉里吉里2丁目の堤乳幼児保育園、副園長の芳賀カンナさん(43)は、この日でボランティアを終える学生7人と同行の職員4人を前に、古里への思いを熱く語った。

  カンナ先生の祖母トクヨさんは吉里吉里の子どもを2千人以上取り上げた助産師。1986年、71歳で亡くなるまで、保育園をはじめ特別養護老人ホームなど吉里吉里地区で四つの社会福祉施設を運営する社会福祉法人・堤福祉会の礎を築き、漁協婦人部の会長なども歴任。地域で知らない人はいなかった。

  カンナ先生の父母はもちろん、兄と弟2人もその遺志を引き継ぎ、それぞれ法人の施設やPTA、消防団などで要職を務めている。吉里吉里から決して離れることができない一族なのだという。

  あの日。保育園や隣の吉里吉里小学校は、津波に追われた大勢の避難者であふれた。小さな子どもたちは保育園に、けが人や高齢者は医師がいる特別養護老人ホームで受け入れた。幸い保育園や老人ホームには布団、ミルク、紙オムツなど急場をしのげる備えがある。翌日から地域では沢水をくみ、地下タンクに残っていたガソリンや被災を免れた倉庫の米や魚を持ち寄って助け合う暮らしが始まった。

  「保育園だけでも駄目、老人施設だけでも駄目。みんなが顔見知りで、それぞれ足りないところを補い合い、知恵を出し合ったからこそ乗り切ることができた」とカンナ先生。祖母が残した家族と地域の絆の強さをかみしめる。

  震災から2週間後の3月25日、保育園を再開した。電気も水道も止まったまま。職員も被災している。「今、子どもを預かることが子どものためになるのか。迷いもあった。でも、親たちだって落ち着いて家族を捜したい、写真の1枚でも見つけたいと思うはず」。がれきの片付けが復興の第一歩だとすれば、残された保育園の再開も、その手助けになると腹をくくった。

     
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園児たちの明るさに、学生も自然と笑みがこぼれる
 
  ■すべて人と人との関係なんだ

 明治学院大学の学生たちが大槌町でのボランティアを開始したのは4月19日。同大ボランティアセンターの呼び掛けで集まった学生25人が、4日間ずつ交代で今月1日まで活動した。花巻市の宿から毎朝、バスで大槌町へ。被災した小中学校の清掃活動や物資の仕分け、がれきの中から見つかった写真の汚れ落とし作業などに参加。堤乳幼児保育園の園児たちとも交流した。

  4月26日。カンナ先生は震災後、初めて開催した誕生日会の企画を学生たちに任せた。ボランティアはありがたいが、素人の学生たちを受け入れるのは大変な面もある。しかし、「学生たちにも何か伝えることができるんじゃないか。10年後、20年後、世に役立つ人が育つのなら受け入れよう」と決断。大学生たちは出し物やゲームを徹夜で準備し、園児のお礼の歌に涙した。

  同大法学部4年の石田一成さん(21)は「子どもたちが少しでも元気になれば、楽しんでもらえればという気持ちでいた。だが、笑顔を与えられたのは自分たちのほう。つらい話もさらりと受け流し、園児たちと明るく接している先生たちはすごい。成長させてもらった」と感謝する。

  心理学部2年の一山まどかさん(20)も「被災地にいる時間は短い。自分の無力さも感じた。どうして自分はここにいるんだろうとも考えた。分かったのは『人が好きだ』ということ。被災者、支援者の関係ではなく、すべて人と人との関係なんだと気づかされた」と話す。

  園児たちは学生たちに何度も抱っこをせがみ「また来てね」と別れを惜しんだ。学生たちの後ろ姿を見送ったカンナ先生は「来た時とは表情がぜんぜん違う。古里を大事に思える大人に成長してほしい」と願った。

  ■貴重な出会い

  学生たちには、保育園の外でもたくさんの貴重な出会いがあった。吉里吉里小の避難所でボランティアに励む同世代の八幡廉さん(18)との出会いもその一つだ。

  吉里吉里で生まれ育ち、のり面工として働いていた八幡さん。実家は残ったが勤め先は流された。茶髪、耳にピアス、見た目は今風の若者だが、避難所の受け付け、清掃、物資の仕分けとよく働く。小学校の屋上プールからトイレの水を夜通し運ぶ当番にも協力した。

  「地元だし、みんな困っているし、それに一人でいるのは怖かったから」と八幡さん。「津波が怖いからと出て行った人をまた呼べるようなまちにしたい。これまで世話になってきた。今度は恩返しする番」と笑顔がまぶしい。

  国際学部2年の伊藤塁さん(22)は「本当に格好いい。自分も『今どきの若者は』と言われるのは大嫌い。おしゃれして渋谷辺りを歩いている若いやつらだってやればできる。仲間を集めてまたボランティアをしに来たい」と意気込む。

  明治学院大は岩手県立大の学生ボランティアセンターとも連携。吉里吉里地区の人々とのつながりを大切にしながら長期的に活動を展開する計画だ。

  明治学院大ボランティアセンターの市川享子コーディネーターは「それぞれ足りないところを補い合い、強くなっていくことが大切なのだと思う。吉里吉里で学んだことをほかの学生や、防災拠点となっている大学そばの小学校などにも伝えたい」と息の長い交流を望む。

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