盛岡タイムス Web News 2011年 5月 18日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉229 伊藤幸子 メール元年

 突然に書きしメールが消え失する悲しみもあり老の学びは
                          岡崎つぎみ

  昨年春、出版と同時に評判になり、続々と版を重ねている本がある。シルバーエイジのケータイ主題の小説、黒井千次さんの「高く手を振る日」である。今や日々の暮らしの中で、ケータイは片時も手放せぬ物となった。

  主人公は昭和ひとけた生まれの70代の同級生。友の葬儀の会場で何十年ぶりに顔を合わせ、再会の連絡に「ケータイは?」と問う女性。妻に先立たれた嶺村浩平は、未亡人の稲垣重子にひと通りケータイ・レクチャーを受ける。

  さっそく近くに住む娘を呼び、ケータイを購入した浩平。娘から実地の指導をうけて、必要最小限の扱い方は覚えることができた。そして、前に教えられたメールアドレスを打ち込み、おそるおそる重子へのメールを送信した。〈そのごいかが?めーるそうしんだいいちごうです。これでとどくのか?〉「液晶画面に現れた小熊が健気にポストに走り、跳び上るようにして手紙をその口に投げ入れる絵が現れた。送信しました、という文字が現れても浩平はなにか不安で落ちつかなかった」〈おめでとう。成功しました。新しいお友達ができたみたいで嬉しい〉〈おあいしたい げんきになったしげこさんに はやくあいたい〉

  追いすがるようにボタンを押して、彼はメールをくり返した。手紙のやりとりや電話とちがい、自分の言葉が裸になって相手に駆け寄っていくのを感じた。時間も距離も超越してメールに没頭する浩平。

  「貴女に薦められなければ、今でも携帯電話なんて持たなかったろうな」「でも、メールって本当のことを言い過ぎるのかしら」「危険かな」「大丈夫よ、貴方のメールは全部ひらがなだもの。何を言っても遊んでいるみたい」…

  二人ともたえず人生の「行き止まり」感覚につきまとわれている。でもまだ十分明るい夕光(ゆうかげ)の中で初々しいメール交信は夢のよう。

  実は私にとっても、昨年春はメール元年だった。まずはケータイ電話会社で「お客さまサービス係」さんの前に立つ。「件名入れますね。ここ、五十音です」「じゃ、ア・イ・幸子」「ハア?」とふしぎがられる。こうして打った発信文に「愛・幸子さんの〈ようかんをア〉ってナニ?」と、長女のメール。「ようかんをありがとう」のつもりだったのに、どこかのボタンを押し違えたらしい。浩平さんと重子さんはあんなに早く上達できたのに、やはり食い気だけでは無理かと苦笑、今に至っている。
(八幡平市・歌人)



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