盛岡タイムス Web News 2011年 5月 25日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉230 伊藤幸子 遠野幽霊記

 百年前佐々木喜善は話つこずうずう弁で語つたんだべが
                         及川 りょう

  5月1日、渋民文化会館姫神ホールにて「啄木祭第二十七回短歌大会」の選者を仰せつかった。応募作品133首、これを6人の選者で分担して選評を述べる。応募締切が3月末日で、大震災の衝撃の作品も多かった。

  そんな中で、この作品に出会った。昨年は「遠野物語」発刊100周年だった。私は八幡平温泉郷にお住まいの長尾宇迦先生に、署名入り「幽霊記」を頂戴し読み込んできた。先生は昭和39年「山風記」で、第二回小説現代新人賞受賞。この「幽霊記」は昭和62年の直木賞候補作品である。

  選考委員の井上ひさしさんは「(幽霊記の)熱気ある筆はときどき筆者をして〈これこそ小説だ〉と叫ばしめた」と賞賛。五木寛之さんは「行間のどこかに縄文文学の歯ぎしりがする」と述べ、田辺聖子さんは「うーんと唸りたくなるような小説、書き出しから読者は心をつかまれてしまう」と選評された。

  明治43年「此(この)話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」と「遠野物語」の序文に記す柳田国男。折しも同年夏、東京西大久保の小説家水野葉舟邸に暑気払いとて集まった文人達。三木露風、北原白秋、前田夕暮、それに佐々木鏡石(喜善)の5人で酒をくみかわす。飲むほどに「遠野物語」談議が熱を帯びる。

  ある家の隠居が死んだ。通夜の晩、亡くなったはずの老女がきて「あなやと思ふ間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり。」この「くるくると」が文学だと主張する仲間に「は、白秋さん、そ、それは、そのくるくると廻った、というところは、そもそも、ぼ、僕が話して教えたものですじゃ」と意気込む喜善。「遠野物語」は、実は、自分が書くべきものではなかったか。柳田に遠野の「話の蔵」を開けわたしてしまった悔いに、終生とらわれる喜善だった。

  この暑気払いの時の写真がのちに世に出た。しかしそこには「左より三木露風、水野葉舟、一人おいて北原白秋、前田夕暮」とあり、喜善の名はなかった。彼は五人の写真の中で白く浮き上がっている自分を見て「お、俺は、ゆ、幽霊になってらじゃー」と叫ぶ。「その時、死は突然に、そして静かに喜善をおとなった…」享年47。長尾文学の神韻である。眼前に、ゆらりと喜善の長い影法師が傾(かし)ぐ。「喜善の話つこ」は、なまってどもって難解だったようだ。
(八幡平市、歌人)


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