盛岡タイムス Web News 2011年 6月 9日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉32 古水一雄 第26冊丁々記 酒ふくれ顔ちゝ見てを泣く

 日記「通巻第二十六冊 丁々記」は、明治40年2月1日より始まり5日に終わる短期間の日記である。店頭で書く筆記用具として筆はふさわしくないと以前言っていた。なぜ早々に次の日記に移ったのかは説明されていないが、第二十七冊が鉛筆書きであることろをみると同様の理由からであったと思われる。
 
  さて、この日記には日常の出来事の記載しかなく、特段これといった内容は書かれていない。ただ、この頃また父の飲酒が始まっていて、しきりに父の顔のむくみを気にかけた記述がみられる。
     
  「通巻第二十六冊 丁々記」  
 
「通巻第二十六冊 丁々記」
 
 
   (2月2日)
    (前略)暮て、櫓、蕪帰る、兎狩、
    八匹とりたりと、おもしろたりしと
    の外深く聞かず、父を思ふて店頭に
    枯座、弟と火燵に兎狩を聞かんのこ
    ゝもなし、只むなしく枯座、書をよ
    めばその酒ふくれ目に立ち、句を思
    ひハそのくだ言耳に満つ、忘れん
    として忘れず、むなしく父を思ふ、
    父に何の心配かある、かく轉ゝ憂慮
    憂語不快又不喜、日を消さるるや

    のみ
     ちゝがみ面のはれをかなしむ
     しらたての髪ハせんなしくれない
     の
     酒ふくれ顔ちゝ見てを泣く
  
  父の酒浸りは、春又春が盛岡中学校2度目の3年生の明治36年にもあり、体調を著しく崩したのであった。そのときには何とかやめさせようとして父に激しく詰め寄ったりもしている。今回はそのような言動は控えていて、静観しつつ父の健康を気遣っていたのであった。
  そのような春又春ではあったが、わずかな喜びを無二の親友である東風(武蔵)の変化から得ていたのである。

     
  武蔵孝吉(号・東風)  
 
武蔵孝吉(号・東風)
 

   
    昨夜、東風兄を訪ふ、東風兄この頃
    作歌作句につとめ、日記もつけつゝ
    あり、満足思ふ可し、自己の趣味が
    感染されたるようにて得意の情禁じ
    がたかりき、作歌作句尚幼稚、され
    ど兄の作として余ハ満足に堪えず、
    夜飯、腹子汁四ワン、飯三ワン、蛸、
    牛乳一合、この外蜜柑二ツ、金平糖
    五ツ六ツ今日も雪が降るなど手帳に
    かいつけたるを見て、まだ雪が降る
    などの心持では若くて困ると母にい
    われた、十和田湖の冬を小説に書い
    て見やうと思ふた、湖邉の休茶屋村
    に冬籠がして見たいと思ふた、それ
    にしても浅虫の碧梧桐の冬籠がうら
    やましい、句が出ぬ時は店頭の騒も
    別段氣にならぬ、得意な句が出ると
    俗をいとふて帳場に安じ得ぬ、実際
    自分に今数等文学上の才があらば帳
    場などにじつとしてハ居ぬ、自分の
    括きを知ればこそ苦吟に身が痩すれ
    バこそ帳場に座して居れる、失意、
    失意、余ハこの帳場をまもりて終世
    失意の句をつくらんか、十一時半、
    父起きて酒をめさるゝらし、まだ寝
    ぬのかと母にいはれて、灯を消さん
    とす、夜にハ雪に折るゝ竹もなけれ
    バ雪つもる音いと静かなり
  
  東風(武蔵)は、盛岡中学校以来の親友である。春又春が3年生で退学したときに東風も同時期に退学している。それ以来上京した時を除いて足しげく行き来していたのである。
  東風は、前年の夏には杜陵夜学会を立ち上げて、春又春も講師として参画していた。
  その東風はどうやら春又春に感化されて、幼稚ながらも短歌を詠み俳句を吟じ始めた。おまけに日記までつけるようになったのだ。友と趣味を同じくすることは春又春ならずともうれしいことに違いない。



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