盛岡タイムス Web News 2011年 6月 12日 (日)

       

■ 〈古都の鐘〉47 チャペック・鈴木理恵 うちのそばの商店街

     
   
     
  わたしが住んでいるのは、ウィーン19区デープリング。ベートーベンがエロイカ交響曲を書いた家がすぐそばにある。楽聖の遺書で有名なハイリゲンシュタットは隣町で、ここ一帯はかつてウィーン郊外というよりも隠遁(いんとん)にふさわしいような田舎だった。その昔は馬車で小一時間もかかったろうが、今では路面電車で市の中心まで15分。便利ながらも昔の名残を留めた自然豊かな住宅街である。

  同じ19区でももっと奥の方に行くと旧貴族や有名人の住むお屋敷が立ち並ぶのだが、うちの辺りは取り澄ましたところのない、ごく庶民的な地域である。

  アパートの表玄関を出て右に10bも行くと、盛岡で言ったら昔のアーケードがない頃の大通に似た商店街が広がる。靴屋さん、洗濯屋さん、お菓子屋さん、古本屋さん、手芸屋さん、電器屋さん、薬屋さんにたばこ屋さん、雑貨屋さんに花屋さん、写真屋さん、美容院に洋服屋さん、メガネ屋さんにパン屋さん。それに小さいスーパーやカフェハウス、レストランが数軒。大抵のものはここでそろうから便利なことこの上ない。

  もうあまりひとりで遠出もできなくなった義母のようなお年寄りが、散歩がてらここまで出てくるのだろう、つえをついてクルマの付いた買い物カゴを押しながら、店先をのぞきのぞき歩いている。

  各店にはその品ぞろえや、ショーウィンドーのしつらえなど、それぞれ個性があって楽しい。大型店の画一性とは無縁の、工夫を凝らした様子がこちらをひき付ける。古本屋の店主は時々店先に出て隣人とおしゃべりしている。電器屋の店先にはいつも大きな犬が暇そうにひなたぼっこしている。お菓子屋さんは季節ごとにイベントを開いては、お客の写真を撮って店内に展示し、後でそれをプレゼントする。

  けれども、こういった小売店がチェーン店やショッピングセンターに押されて太刀打ちできなくなってきているのはウィーンも同じで、方々街を歩くとき、ああ、この店もなくなってる、あの店もなくなってしまった、とウィーン子の主人はとても寂しそうにする。わがデープリングの商店街は他の地区と比べるとまだ良いほうではあるが、よそでは商店街そのものが寂れて、空き店舗ばかりが目立つところも多いのだ。

  盛岡に帰るたびに感じるのも同じことで、その中で商売を堅実に続けている店を見るとほっとするし応援したくなる。商売の厳しい時勢、こういう店は応援しなければとも思う。

  世の中メディアが進んで、買い物もネットでごく簡単にできるようになった。時間や労力の節約になるし、これはこれで魅力もあるから時にわたしも利用する。しかしそればかりになったらやはり寂しいし、それどころか危くなってしまうとさえ思う。

  実際に目と目を合わすこと、言葉を交わすこと、こういった人間として基本的なやり取りが減っていったら、ひとはますます引きこもってしまうのではないか。人への信頼を失い、疑心暗鬼になってしまうのではないか。昨今の犯罪を見ていると、どうもそんなことを考えてしまう。
(ピアニスト)

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