盛岡タイムス Web News 2011年 6月 17日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉29 八重嶋勲
    三日かかって書いた手紙に候

 ■猪川 浩

  54 巻紙 明治34年7月28日付(その1)
 
宛 紫波郡彦部村大巻 野村菫舟様
発 岩手郡西山村西根 蝉なくかたゐ  猪川 浩
 

  三日係ってかいた手紙に候、誤植あること期し候、御免あらんこと願申候、御手紙被下度そろ
さらぬだに暑きこの日比(頃)風なむ一つそよぎだもせず身のひだるさ、之れに増したる事これなく候、何にも音信に候らへば別條用もなきを囂(かし)ましく騒き立つるも一興なるべく君が帰宅後の凡て起った実事や何も一纏めに詳しい處御談し申すべく耳欹つるは御無用に候、只目一つあって事足れり、十五日の夜より秩序的に歴史的に自炊に関係をとり猪川先生に移ったまで家へ変ったまで事に候、さて十五日三時の汽車にて帰宅せられ候より、寒葉、虎人、通君、中館(途中にて得たものなり)、杏子君をともなひて帰り申し候、鍋、釜、下台所道具一済(切)を見龍と同人だけに助けられて井戸端に灌き申し候、吾れは只家の道具纏にかゝり(杏子君と共に)、その中洗ふ方は出來上り、五山君は猪川先生へ談辨に行く跡、独りで僕片付ける、何やかやに惨憺たるもので日暮れに及んでも又少しも片付可ぬとの鈴木、中館などかへる、五山悄然として戻った、猪川先生の方どうでも駄目な様た、緊乎我折れ切ってゐる、それから又総出で各部屋を清める事になった、日かとっぷり暮れる、帰って又来るといふものがあるので、又猪川先生へ談辨に僕も息巻いて出掛け(る)られ(る)を何しろ空にして出たのであるから小笠原では恐天びっくりしたもので急に僕を呼び立てる善い様にあしろふて出掛ける猪川先生へ先つ這入り込んで色んなことを考へ初める、此處よしにして外へうつろふがなと、そうすれば翁ヤつ必然と怒るなど遂ニ恐れ恐れ先生の前へすゝみ出る、異様な眼の光りは正しく僕たちの論鋒はむいてゐる向ふの言ふのもわからぬので一つ饒舌ってやろうふとウンと口を開くと「いゝや貴様のことではない」となってやかて御廃になった、それから二、三日立つてから来いといふで、當分舟越へ泊ることにして貰って道具もそふゆふ事にした、さて今夜舟越へ道具をくばるか、くばるだが、さて肝腎の家資かない譯だ、何とことはるかさて一向わからぬがどうかうか其處へ行けばきまる事と白を切ってグっと音羽屋を気取って帰った、途中秋皎が来て待ってゐたのに出喰はした寒葉、虎人、冷仙と車をかれて引張って道具を出すに戻る、さて何とか小笠原君へ言はらなけれはならぬで一つきめこんで冷仙、五山を楯にひかへて門を叩へ(い)たが、さて何といって善い事やら、兎角ふする中に主の女ましましければ向ふに一口半句言はせず自分許りへらずいてやった處、先生呆ッといった切り何にも饒舌り得ぬを幸ひこの難関を漸っと次第ぬけた譯、それは廿二日迄でにやることでありた、而して一台の車に有合ふ道具を積みでみた處があるわあるわ二台でも什分の様でそれとも一台へつけるといふ算段だから一方ではない、大道まで出る中にどんな難艱はあったか今から思ひ出しても想像し得られぬ、こんな風な難儀を重ねてその晩は済んだ。あきたから詳しい事はよした、外に面白い事話して上げよふ、
(この手紙は続きがあります)

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