盛岡タイムス Web News 2011年 6月 18日 (土)

       

■ 〈不屈の意志〉盛岡大通商店街・吉田莞爾理事長に聞く 地元商店から購入を

     
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 吉田莞爾盛岡大通商店街協同組合理事長は、被災地の商店街復興に心を寄せている。支援物資によって地元商店街の復活を難しくしてはいけないと考える。自身は大通2丁目の老舗銀章堂を経営。商店街理事長として大通全体の活性化に力を注ぐ。自店舗も大通もほとんど被害がなかった。店をきりもりしながら被災地支援もした。自粛せずにYOSAKOIさんさも実施した。被災時からの経過や今後の取り組みなどを聞いた。
(大森不二夫)

 │被災時の状況はどうだったか。

  吉田 地震が来た瞬間は、大通の店の近くにいた。グラグラと揺れたのですぐ店に戻った。店員は無事だった。店内の高い棚にあった人形が数本倒れたが、商品は無事だった。揺れが落ち着いてから、大通のアーケードの看板やネオン、電線の確認をした。2階、3階から看板や電線が落ちて、通行人が被害を受けていないか見て回った。あんなに揺れたのにほとんど被害はなかった。飲食店でもコップ一つ壊れなかった。大通の地盤の強さを再確認した。40年以上前の話だが、サンビルが建つとき、地盤があまり固いのでダイナマイトを使用したほどだ。この固さに助けられた。電気が3日間、止まったのは大変に困った。大通の店舗には自動シャッターの店が多い。当店も自動だ。11日は入り口をつっかえ棒でふさいだだけ。店の前にある商品ケースはそのまま出した。盗まれても仕方ないと思った。電車通勤の当組合の阿部利幸事務局長は、その日リリオに泊まった。次の日、実家の水沢まで自転車で帰った。この日の当店の売り上げはゼロ。ゼロになったのは20年ほど前の日教組の大会で大通に人が入れない状態になって以来だ。当組合事務所のリリオも停電した。

  │その後、大通の経過は。

  吉田 毎日確認に来た。3日間は停電でほとんどの店は閉まっていた。停電だから人はほとんどいない。それでも2日目から炊き出していた店はあった。サンビル前でご飯を無料で配っていた店もあった。コンビニは停電だったが開いていた。一人ずつ店内に入れての販売だった。電気が復旧してもガソリンも公共交通機関もストップし、店も会社も機能していないのでほとんど人が来ない。炊き出しなどには少し来ていたようだが。この時期は当店では一番の稼ぎどき。新入学、移転で、例年忙しい時期。3月の売り上げは大幅にダウンした。4月中旬ころから、通常に近い状態に戻り出した。戻ったといっても、大通全体の景気は依然厳しい。被災地の方も来てはいるが、ただぶらぶらしている人もいる。人はいるけど消費につながらない。夜の飲食は県外からの支援者らで好調のようだが。

  │被災地への支援は。

  吉田 大震災から1週間ほどして知人の釜石市の大町商店街の関係者がわざわざ訪ねてきた。知人も避難生活をしているのだが、避難生活者のために長靴や寒さをしのぐセーターなどがないかと言われた。大通商店街の組合員らに協力を求めたら、数日でダンボールで10箱ほど集まった。3月24日に当組合員の車で釜石の避難所に届けた。その後、全国のはんこ組合から支援物資が送られてきた。八戸のはんこ屋は車でリリオまで運んでくれた。物資の箱には長靴のサイズなどが明記され大変渡しやすかった。4月24日、宮古の避難所に届けた。私も行った。大変喜ばれた。帰りに白浜地区の空手仲間を訪ねた。小さな集落。被災したが無事だった。ただ物資が届いていなかった。

  │被災地支援に対しての意見があるようだが。

  吉田 被災地への物資の支援は重要だが、物資が余りだしている。油と交通網がしっかり戻ればもう必要ないだろう。それでも送るのなら元の商店に送る。被災を免れた宮古や釜石の商店が、全然買い物に来てくれないと泣いている。大変だ。支援金を早く被災者に渡し、地元の商店から買う。そうしないと地場の商店が危ない。

  │地域の活性化は。

  吉田 自粛せず普通通りイベントはする。幸い当大通は被害がない。何だかんだあろうが県都盛岡の繁華街。ここが元気であることが被災地支援になる。自粛やイベントを縮小すれば大通はさらにひどくなる。ここで生計が立てられなければ支援はできない。まず自分の仕事を強くし、余力を蓄え、それで支援する。どんどんイベントは行う。

  われわれが元気になれば沿岸の海産物などをどんどん買おう。何とか元気を出し内陸も沿岸も元気にしたい。


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