盛岡タイムス Web News 2011年 9月 9日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉41 八重嶋勲夫 小生もその内必ず状況いたし度

 ■金田一京助
  71 はがき 明治35年1月3日付
宛 紫波郡(赤石)彦部村 野村長一様
発 盛岡市大沢川原 金田一京助
 
謹賀新年
   朱の雲や音あたらしき八百瀬也
   天の戸こゝに東に開けぬ
  明治三十五年一月一日
          盛岡市大沢川原
             金田一京助
 
  【解説】金田一京助は、明治15年盛岡市四ツ家町生れ。明治34年、盛岡中学校卒業、第二高等学校から東京帝国大学卒業。言語学者。アイヌ叙事詩・ユーカラの研究。文化勲章。盛岡市の名誉市民第1号。盛岡中学校の同期に及川古志郎、郷古潔、野村胡堂、弓館小鰐、細越夏村、小野寺直助、岩動露子等がいる。
 
  ■岩動孝久
  72 原稿用紙 明治35年1月19日付
宛 野村長一様
発 岩動孝久(露子)
御手紙難有拝誦仕候、
 
兄と同件佐比内行の計画も遂行不致残念至極に存候、それのみならず互にしバしバ往来はせずとも兄も此地にありと思へば心強く感ぜられ申候に今御上京とはいさヽか別れがたき心地に御座候、小生も御同件はなり兼申候へども、その内必ず上京いたし度存念に御座候、猪狩君既に仙台にあり、同氏に兄の立寄るヽならば吹奏琴といふもの御願申上候、尚弟らへの手紙沢山御願申上度候、御上京の日は正午頃より御出で下さるまじくや、せめてすこしの間を名残の快談に暮らし度存候、草々不宣
凍筆をふるって右乱筆如斯に御座候、坐燵ならぬ机にて
                岩動孝久
   一月十八日
     野村長一様
げに御手紙に仰せられ候如く過去幾日記憶はいかに我をして感にたえざらしむるよ、
 
  【解説】長一がこの時期、何かの都合により上京することになったのであろうか。受験のために上京するのは明治35年4月頃であった。
 
  ■平賀宇兵
  73 巻紙 明治35年3月28日付
宛 紫波郡彦部村大字大巻野村長四郎様方 野村長一様
発 盛岡市外仙北町 平賀宇兵衛
 
野村君も宮川君も成蹟善良なり、写して置きました、
拝啓
昨日ハ参上□ニ御世話ニ相成候段、難有御礼申上候、私事壹時半上□自致し、直ちに学校へ余り候處、愈々發表ニ相成五年級にハ〇〇一人も御座なく候、委細は明日御出盛の節御知らせ申述べく候、就きてハ離別会の事ニ付き両川氏等の計晝にて多賀の水月Тとかにて授与式の日を卜して催さんとの由、又会費は四、五と承り候ニ付明日は早く是非御来盛相成度候、先ハ御礼旁々御報まで、草々
猪川浩君は成蹟佳良
    三月廿八日
               宇兵衛より
      野村長一様
      宮川慶吉様
 
  【解説】盛岡中学校卒業試験の結果野村長一・宮川慶吉の成績が良かった、と報じ、全員揃って卒業になることを告げている。「○○一人も御座なく候」は落第が一人もなかったことなのであろう。両川氏とは、両川藤次郎(八重樫姓となった)。東亜同文書院(上海)卒と卒業生名簿にある。猪川浩は1年下で、岩動康治(炎天)・石川一(啄木)・小沢恒一らと同級。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします