盛岡タイムス Web News 2011年 9月 25日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉9 田村剛一 悲しき知らせ1

 自分の家が手のつけられる状態でないと知ると、火事のことが気になった。そこで、役場に向かった。相変わらず火の勢いは衰えない。

  役場の少し手前に、ちょっとした空地がある。そこで、たき火をして夜を過ごした人たちがいる。全員顔見知りである。沈痛な面持ちであった。

  「奥さんは?」「まだ見つからない」

  津波直前「大事なものを取りに行く」と言って、私の家の前を下りて行った人だ。下りて行く姿を夫である知人は見ていた。「まだ見つからない」と言ったのは夫である知人である。

  もう一人、沈痛な人がいた。私の中学時代の同級生だ。夫婦でクリーニング店を営んでいた。いつも夫婦一緒にいる人たちだ。

  「奥さんが見えないね」「私が手を離したばっかりに…」

  地震直後、2人で店から自宅に戻り、家にカギをかけた後再び店に戻った。客から預かった洗濯物が気になったからだ。その洗濯物を片付け避難しようとした所に津波が来た。二人は手をつないで必死に耐えようとした。しかし、波の力に抗し切れず手を離してしまったという。自分は助かったが、妻の行方が分からないと嘆く友人。言葉のかけようもなかった。

  「畳屋のおばさんも見えないそうだよ」。そんな情報が飛びこんできた。畳屋のおばというのは、父の弟の妻。90になる。そのおばのことを聞いて「もしかして」と不吉な予感に襲われた。

  そのおばの世話をするため、おばの息子の嫁が盛岡からわざわざ来ていた。義母を置いて逃げるような人ではない。おばが行方不明と聞いて、徒弟の嫁が気になった。悪い予感は的中した。嫁も行方が知れなかったのである。

  悲報が続々入ってきた。私の町内会(後楽町)でも、それまでに逃げ遅れて亡くなった5人の遺体が安置所に運ばれていた。

  「絶対、津波はここまでは来ない」と言われてきた後楽町で5人もの犠牲者が出ているということは、町全体の犠牲者は、相当の数にのぼるのではないかと思った。

  その時、再び不安がよぎった。息子の事務所を手伝ってくれていた息子の同級生の女性。「無事、逃げていてほしい」。天を仰いで祈った。

(山田町)

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