盛岡タイムス Web News 2011年 9月 26日 (月)

       

■ 都南歴史民俗資料館企画展「盛岡・志和稲荷街道を探る」 「山沿いの謎」研究科が解明

     
  展示している志和稲荷山道通御普請控帳の一部  
 
展示している志和稲荷山道通御普請控帳の一部
 
  「盛岡藩・志和稲荷街道を探る〜街道の昔と今」をテーマとして企画展(盛岡市都南歴史民俗資料館主催)が10月10日まで、盛岡市湯沢の同資料館で開かれている。資料館収蔵の天保6(1835)年作成の「志和稲荷山道通御普請控帳(しわいなりやまみちとおりおふしんひかえちょう)」を基本史料として、岩手城郭・鉱山研究所主幹の高橋博恭さんと同資料館が連携して検証した。高橋さんは、稲荷街道がなぜ山沿いに作られたのか疑問を持ち、入念な調査をした。その結果、飢饉(ききん)が相次いだ天保年間に、疲弊した農村を救済するための公共工事だったと推測している。(荒川聡)

  ■志和稲荷山道通御普請控帳とは

  志和稲荷山道通御普請控帳は天保年間に整備された新稲荷街道の絵図面。詳細図と呼ばれている。長さは約10bあり、これまで2回ほど企画展が行われているが、長さがあることから部分展示で紹介されてきた。

  志和稲荷神社の由緒によると、創建は1千年以上前と伝えられ、源頼義(頼朝の5代先の先祖)が天喜5(1057)年に社殿を再興したという。奥州藤原氏の一族とされる樋爪氏、その後の斯波氏、南部氏と代々の領主が保護してきた。

  盛岡藩の天保以前の旧道は盛岡市津志田地内の国道4号の盛岡四高付近から西側に進み、矢巾町の流通センター、紫波町内の十二神集落付近に出てから北上、志和稲荷神社に向かっていた。比較的に平坦な場所を通っているのが特徴。

  新道は、起点が同じ盛岡四高付近の津志田。永井、現在の矢巾町内の赤林村、広宮沢、煙山から現在紫波町内の南伝法寺へと急斜面を通り、小屋敷、上松本、升澤と山沿いに構築されている。津志田から神社までの総延長は16`。赤林、和味、上松本の3カ所に一里塚が構築されている。

     
  右から高橋博恭さん、古水一雄館長  
 
右から高橋博恭さん、古水一雄館長
 
  ■新道整備の謎に挑む

  工事は天保5年から6年にかけて行われ、正味の工事期間は約半年間だった。「絵図には山道、そま道(細くて狭い山道)という記載が多くあり、それらをつなげて縦断道が短期間で整備された。もともと里道があったのに、なぜこんな山道に街道を通したのか非常に不思議だった」。高橋さんの疑問はここから始まった。なぜ平坦な道を急峻な山道に変更されたのか。

  資料館の詳細図、志和稲荷神社が所蔵する街道の図面、古文書、県立図書館が所蔵する幕末にかけての各村々の絵図と照らし合わせながら実際に歩いて調査した。

  調査で分かってきたことは、街道を作ったことで村々が整備されていること。「例えば広宮沢では街道整備により伏流水が随分出るようになった。村絵図を見ると小さな堤が10個近くあり、その上に街道を通している。道が整備されれば上流から流れてくる沢水をどう配分するか水路や貯水池も必要。絵図面からも水路や堤が見える」と、道の整備と同時に治水工事も合わせて行われたと見ている。

  街道整備によって既存の水脈がつぶされず、新たな水脈が生まれて農業用水路やため池が増え、疲弊していた農村に活気が生まれてきた。お茶を出す休み場や井戸なども誕生した。

  ■新道整備は失対事業

  高橋さんにアドバイスをしてきた近世こもんじょ館を主宰する工藤利悦さんは、天保年間に度重なった飢饉が新街道整備のキーワードだと考えている。「南部家では失対(しったい)事業(失業対策の公共工事)と称している。作業に当たる村人たちは非常に意欲的だったという記録がある」と話し、作業には沿道の村々の農民を使用して行った経済対策と見ている。

  山伝いに道路を整備することは大規模な工事、高橋さんと工藤さんは資料館の詳細図は設計段階の図面、志和稲荷神社が所蔵する図面は記録として残すためのものではないかと推測している。

  工藤さんは「稲荷街道の調査はまだ始まったばかり。先祖が肝入りでやっていた家の文書、修復に関する文書もあると思う。改修後の絵図もある可能性がある。これをきっかけにしていろいろな文書が出てきてほしい」と話す。

  ■稲荷街道に新たな光

  高橋さんは「古文書の関係はまだまだ民間が持っているものもあるでしょう。もっと具体的な内容を記したものが出てくる可能性もある。フィールド調査は95%まで終わった。後は古文書と整合することでルートが確定できると思う」と話している。

  同資料館の古水一雄館長は「今まで部分的にしか図面が公開されなかったが、全体を見せることで、どういうものであったのか皆さんに問題意識として持ってもらう。天保年間の飢饉対策が一つの目的であると思うが、それに対して領民が非常に意欲的。このころは藩に対する不満がいっぱいあったはず。この展示をきっかけに稲荷街道のさまざまな事柄について考え直す必要が分かった」としている。

  企画展では全長約10bの詳細図、パネルなどで紹介している。開催期間は10月10日。盛岡市都南歴史民俗資料館(電話638-7228)は同市湯沢1の1の38、月曜日休館。


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