盛岡タイムス Web News 2011年 12月 8日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉66 田村剛一 自宅へ戻る

 震災20日過ぎあたりから、そろそろ自宅へ戻る準備をしなければと思い始めた。おいの所とはいえ、迷惑ばかりかけておれないからだ。

  避難所生活をしている人たちに比べると、恵まれ過ぎている。その一人に「親戚の家でのうのうと生活している」と言われたこともあり、その時が近づいてきたなと思った。

  言われるように「のうのうと生活」していたわけではない。おいの家でも、私には私なりの仕事があった。水くみである。飲料水は、給水車が近くの広場に来て、専用の給水袋に入れて配ってくれた。それを家まで運ぶのが私の仕事。水は、飲料水だけではない。食器洗い、掃除用、洗濯用、この方が飲料水よりはるかに多かった。その水くみも私の仕事。

  沢水をパイプで運び、それを流している家があった。普段は、見向きもされない沢井戸。そこに、毎日、長蛇の列ができた。ポリタンク二つに水を入れ、それを両腕で運ぶ。これがなかなかの重労働で腰を痛めた。何度も水を運ばなければならなかったからだ。

  でも、おいの家での仕事はそれぐらいであったから、あとの時間は、家の後片付けや、行方不明者探しに当てることができた。

  4月は早々に、1階の部屋に、不ぞろいながらも畳が入ったことで、寝泊まりはできるようになった。でも、生活するとなると難しかった。電気も水道もまだ通っていなかったので、煮炊きも、風呂もトイレ使用もできなかったからだ。

  その話を聞きつけた織笠の奥の人が「古いガスコンロならありますよ」と言うのでもらうことにした。全て失ったものにとって、使えるものは何でもありがたかった。それに、一つでも家庭用品が増えると心強くなる。

  「明日、この地区の電気がつきます」。電力会社の社員に言われ、いよいよ自宅に戻る日が来たなと思った。そして、その翌日、家に戻った。

  家に戻ったといっても全員ではない。私と息子の男組。電気も水道もまだなので、風呂もトイレも使えない、となると女性が帰るのは無理。それで、母と妻の2人は、おいの家に、しばらくの間、置いてもらうことにした。

  「今夜から、自宅で明るい夜が過ごせる」。そう喜んだのもつかの間「トランスが壊れている」と電力会社の社員に言われた。トランスが壊れているのでは電気はつかない。

  今さら、おいの家に帰るわけにもいかず、孫たちが久慈から持ってきた石油ストーブでお湯を沸かし、カップメンをすすった。この日は忘れもしない4月7日だった。
(山田町)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします