盛岡タイムス Web News 2011年 12月 10日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉67 田村剛一 余震

 大震災後、毎日のように余震は続いた。そのたびに「また、津波が…」。そんな心配をした。
  というのも「今度は、青森、千葉で、大津波が発生するそうだ」。そんな情報が、まことしやかに流れていたからである。

  そのうわさも、時間がたつとともに薄れ、少々の地震では驚かなくなった。

  そんな矢先のこと。避難先のおいの家から自宅に戻った最初の日の夜、突然、家が大きく揺れた。床に入ったばかりの身を起こした。棚の物が落ちた。3月11日には、何も落ちた物はなかったのに。物が落ちたところを見ると、あの時の地震より大きいのかもしれない。もしかして、本当に再び津波がやってくるかもしれない。そう思い、懐中電灯を手にして家を飛び出した。

  「津波注意報ですよ」。そう言って、いつものメンバーが顔を出した。といっても私を含め3人。防災会のメンバーである。私以外の2人は、家がもっと高台にあったので、津波の被害は受けていない。

  でも1人は娘の義理の父母2人を津波で亡くしている。もう1人は、娘の家が全壊し、避難生活を送っていた。その意味では、2人とも私と同じ津波被害者なのだ。

  「注意報が出ているのに、誰も避難してきませんね」。

  いつもなら、年寄りが先頭になって、この近くまで避難してくる。この道は、公民館に行くにしても、このまま寺に行くにしても避難路となっていた。人の姿がまったくないのだ。もちろん、前方は光のない真っ暗闇。

  「津波があったばかりなのにねぇ…」と言ったところで、はっと気がついた。その津波で、下の方の家は全部流され、人っ子1人住んでいなかったのだ。

  気象庁の発表によると、地震発生は4月7日午後11時32分。震源は宮城県沖。深さ40`、マグニチュード7・4、震度6強。本来なら大地震だ。宮城県沿岸に津波警報、青森から茨城県沿岸に津波注意報が出された。注意報なら、防潮堤は倒れているものの、私の家まで来ることはないと思った。

  この日の夜も大変寒かったので、12時を過ぎたあたりで、みんな家に戻った。それにしても、家に戻った初日に、また地震に遭うとは。

  この地震で、再び大津波発生説の勢いが増した。「立派に家を直さない方がいいですね」。
  今、家を修復中の裏の主人の弁だ。修復した後、また襲われでもしたらたまらない、という。
  家がなくなった今、わが家付近が一番海に近く、危険地帯。津波のないことを祈るのみである。
  (山田町)

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