盛岡タイムス Web News 2011年 12月 29日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉81 田村剛一 失われた風景2

 大槌に行く道すがら、浪板海岸に立ち寄った。岸辺に立って、浪板海岸を眺めた時、口をついて出た言葉。“無残かな片寄せ波もいまいずこ”だった。

  寄せたまま、引き返すことなく、砂に吸い込まれて行く片寄せ波。これも、砂浜があってこそできる自然現象。その砂浜が、全くといってよいほどなくなっていた。波は直接松林のあった護岸にぶつかる。片寄せ波の現象はどこにもない。

  失われたのは、この片寄せ波だけではない。浪板海岸の背景を彩っていた緑の松林も、ほとんど、根こそぎ波にさらわれていた。ここでも、白砂青松の風景は、完全に失われてしまっていた。

  浪板海岸といえば、大槌高校に勤務していた時のこと、海開き前の7月早々、全校生徒で、海岸清掃をしたことがある。当時としては、海の清掃をする学校はそう多くなかった。同時にまた、一生懸命掃除する生徒も多くなかった。苦労するのは一部の生徒と教員。それで、いつの間にか浪板海岸の清掃はなくなっていた。

  私が、浪板海岸に足を向けるようになったのは、二男の孫たちが、夏休みを利用して、私の家に来るようになってからである。

  上の孫娘が中学生になるまでは、夏休みの1カ月間、毎年山田の私の家に滞在、そして毎日のように海に行った。それでも、下の男孫が泳げるようになるまでは、波静かな浦の浜海水浴場、下川公園、オランダ島で泳いだ。

  下の孫が2年になった時、初めて浪板海岸へ。上の孫娘2人が、浪板の波のりが気に入り、毎年何度か浪板海岸へ行くようになった。

  孫たちは父親の仕事の関係で、2年か3年で転校、早い時には1年、それでも、いじめに遭うことなくたくましく育ったのは、浪板海岸の荒波でもまれたからだと思っている。

  この孫たち、この4月、1年で福島県の郡山から岐阜県の各務原に転校。この孫たちも、いってみれば、震災の被災者ともいえる。中3の孫娘は、転校してすぐ大震災のことを作文に書いたら、無理やり少年の主張にかりだされ、県大会に出る羽目になったという。

  その孫たちに“浪板海岸もなくなったよ”と言うと、“えっ、もっと浪板で泳ぎたかったのに…”この孫たちは、まだ、被災地を見ていない。最も好きだった浪板海岸を見て、はたしてどんな思いを抱くのだろうか。

  「高校に合格したら行ってみたい」3月には、孫たちを呼んで、変わり果てた浪板海岸をぜひ見せてやろうと思っている。
(山田町)


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