盛岡タイムス Web News 2011年 12月 31日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉83 田村剛一 失われた風景4

 私にとって忘れられない風景の一つが、駅前風景であった。私が生まれ育った古里を離れたのは、昭和29年1月、15歳の冬。

  北海道の室蘭に住む伯母から、高校で勉強したかったら室蘭に来い、という手紙が届いて、その5日後に、一人で室蘭に向かった。その日は1月17日だったと記憶している。

  中学時代の友人に見送られ、陸中山田駅を出発した。仲のよい友人5人は、釜石まで見送りに来てくれた。当時、山田線は不通で本線に出るためには釜石を回らなければならなかった。これが私の旅立ち。

  陸中山田駅、私の旅の出発点、この駅から何度旅立ったか数えきれない。高校時代の陸中山田・室蘭間もしかり。大学時代の陸中山田・金沢間もしかりである。そのたびに、始発駅は陸中山田で、帰りの終着駅も陸中山田駅であった。山田駅は始発駅であり終着駅であった。

  駅前広場には一本のしなの木が生えていた。それがいつの間にか巨木化し、山田を象徴する名木に育っていた。その根元に20年ほど前になるだろうか、小さな祠が建てられた。称して「ホタテカッパ神社」。恐らく、山田がホタテ景気で潤った頃に商工会の人たちが建てたのではなかろうか。

  旅の帰り、空を覆うようになったしなの木を仰ぎ見ては、山田に帰ったという実感を強くしたものだ。

  ところが、今回の大震災で、津波では、駅舎もしなの木も残ったものの、その後の火災で猛火に包まれた。

  震災後、数日して駅舎を訪ねてびっくり。駅舎もしなの木も真っ黒焦げ。いずれは駅舎は取り壊しされ、しなの木も切り倒されるに違いないと思った。私の人生の旅の記念碑ともいうべき駅もしなの木も失われることになった。残念この上もない。

  駅前風景が失われたことに、心を痛めた人は私だけではなかった。

  反原発の旗手として知られる作家の広瀬隆さんが宮古に講演で来た時、山田の駅が見たい、というので案内した。その時は、すでに駅舎は取り壊され、線路は撤去され、一本の丸こげになったしなの木が当時の面影を残すのみだった。

  私が降り立った駅はこのあたりかな。感慨深げに駅舎の跡地に立って、線路跡をのぞいたり、しなの木を見上げたりしていた。広瀬さんは何度か山田に来ていた。

  「鉄道が走るようになったらまた来ますよ」と言ってその場を離れたが、はたしてその時が来るのかどうか。失われた駅周辺の風景が、再び戻ることはないような気がする。

(山田町)


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