盛岡タイムス Web News 2012年 2月 3日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉108 田村剛一 友人の証言4

 時が経つにつれ、辛くも助かった人たちが、口を開くようになってきた。仮設住宅の建設が始まり、いくらか、安心する気持ちも生まれてきたのかもしれない…。

  助かった人の中に「生きているのが不思議なくらいだ」という人もいる。私の友人もその一人、小学校からずっと一緒の友人だ。

  地震の時、彼は私たちと一緒に、川向町の事務所にいた。地震が収まると、家が心配になり、すぐに北浜町にある家に向かった。この地区は海にも川にも近く、津波の時は、一番の危険区域。

  家に入って仏壇を見ると、線香立てがひっくり返り、灰が部屋中に散らばっていた。それを片付け、2階はどうだろうと思い、上がってみると、戸棚の上の物が落ちて散乱していた。

  それらを片付けようと思い、なにげなく窓を見てびっくり。2階をも飲み込みそうな大波が目前に迫っていた。“危ない!!”そう思った友人はベットの上にのぼろうとしたが、腰を痛めていて足が上がらない。それで、ベットに腰をかけ、それから足を持ち上げて、ベットに横になった。

  それから、ばりばりがたがたと音を立てて家は流れた。気がついたら、JRの線路近くまで、6畳間だけが水に浮いて流れていた。なぜ、2階の6畳間だけが家から離れて流れたのか。

  友人の言うには、6畳間の下は8畳間、広さが違ったので6畳間には通し柱がなかった。それで6畳間が助かったのだ。

  気が付いたら、線路近くまで流れていた。300bは流されたことになる。窓から外をのぞくと、線路より上に人が5、6人立っていた。それで、屋根にのぼり、助けを求めた。しかし、目の前の人はぼうぜんとして立っているだけで助けに来る様子もなかった。

  仕方なく家から出て水にとび下りた。水は腰のあたりまであった。線路近くへ行くと背が立たない。流れてきた木材にしがみついて深場を渡り線路に出た。そこから役場に向かった。体はびしょぬれで寒い。がたがた歩いている所で、私の妹に出会い、毛布を貸してもらった。

  そこで近くに住んでいた知人の女性に会い、わけを話すと、役場に引き返し、役場職員2人を連れてきてくれた。職員2人の肩にすがり、やっと、コミュニティーセンターにたどり着いた。コミュニティーセンターではストーブがたかれていて、それを見て、やっと助かったと思ったという。

  翌日から役場職員を中心にして、救出作業と遺体の収容作業が同時に始まった。友人が流されてきた付近で、10人近い人の遺体が収容された。友人は奇跡的に助かった一人といえそうだ。
(山田町)

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