盛岡タイムス Web News 2012年 2月 4日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉109 田村剛一 友人の証言5

 「何が生死を分けたか」と聞かれることがあるが、それは正直分からない。かろうじて生きることができた人も、それぞれ体験が違うからだ。美容師である知人の娘の体験も、ある意味で貴重なような気がする。

  この日、彼女は3人の同級生に会っている。今回の津波で、この日会った4人の運命はまったく別のものになってしまったようだ。

  美容師の彼女が最初に会ったのは、客として美容室を訪ねた友人。髪をセットしているさなかに地震が発生。電気が切れたのでセットはできない。やむなく冷たい水で髪を洗い「あす来てね」と言って、その友人を帰した。

  停電では仕事にならない。店じまいの支度をしている所に、海岸近くで仕事をしている同級生が来た。

  「水が引いているから、早く逃げた方がいいよ」と言って通り過ぎた。そう言われたので彼女は、はさみ1本バッグに入れ、外に出て店のシャッターを下ろした。それからすぐに、車を停めている駐車場に向かった。途中、同級生が開いている理容店の前で同級生に会った。

  「もう帰るの」と言われたので「帰る」と言って駐車場に向かった。この時の様子では、同級生は津波をまったく予想していなかったよう。「水が引いているそうよ」と言えばよかったと後で悔やんだという。

  彼女は車に乗ると、一人でいる祖母の所に向かった。祖母は津波の来る直前、孫息子に背負われ避難して無事だった。

  セットを中止して家に向かった友人は、すぐ2階に上り、大事な物を持ち出そうとした。そこに津波が襲ってきた。家は流され、どんどん奥へ。どこかの家にぶつかったとたんに家は壊れた。

  それから引き潮が始まり、壊れた家と一緒に海に向かって流された。あっという間に海へ投げ出された。体は水に浸かり、寒さで体の感覚が失われていく。何せ、この日は雪のちらつく寒さ。「もう助からない」と観念したそうだ。そこに船が近付いてきて、手を差し伸べられた。自分では船にはい上がる力もなかったが、船の人に引き上げられ助かったという。自分は助かったものの、この女性の夫は消防団員。活動中に波にさらわれて行方不明となった。

  「もう帰るの」と声をかけてくれた理容師の同級生も、逃げ遅れ犠牲に…。実は、この人たち4人、亡くなった夫を含めると5人が同級生。仲の良かった友人たち…。このうち美容師とその客である同級生は、私の家の向かいが生家。父親2人は幼な友達。2人とも家を失った。今回の津波は、この同級生にとって家族、同級生の仲を裂く津波でもあった。

(山田町)


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