盛岡タイムス Web News 2012年 2月 23日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉50 古水一雄 「句十歌五」

 「句十歌五」と題したこの日記は、明治41年11月1日から翌42年2月15日までのおよそ3カ月半にわたって記述されている。
 
  1月に入って三井甲之の好意で歌誌「アカネ」を贈呈される。しかしその甲之の俳論で論じられている短歌と俳句の相違に納得できないと書簡を送っている。「アカネ」に掲載された俳論の内容も春又春の書き送ったという書簡の内容も不明なのでどのようなやりとりであったかは知る由もないが、大須賀乙字に宛てた書簡のなかに甲之の俳論については自分の誤解があったと記したあと、次のようなことを書き付けている。
     
  「句十歌五(通巻第四十一冊)」  
  「句十歌五(通巻第四十一冊)」  
 
   句作は不相変勉(つと)メ居り候、日
   本俳句ニハ毎回常ニ多少ハ作リ居候ヘ
   共サテ投書スル段に相成り候テハコレ
   モ一俗コレモ一臭トケツリ去リ残リタ
   ルモノ二句三句ヲ得候ヤウノ次第今回
   モ冬植物ノ如キ一句モ満足ナルヲ得ズ
   失望致シ候小生元来客観ノ句ヨリモ主
   観ノ句ヲ好ミ常ニ主観ノ句ヲ作リ居リ
   候コレ小生初メ短歌ノ抒情趣味ニ養ハ
   レタル為メナラント存ジ候今ニシテ脱
   セントシテ脱シ得ズ、俳作ノニ累ヲ及
   ボスコト実ニ不尠(すくなからず)、
   一利一害ノ嘆ニ不堪(たえず)候、コ
   レモ畢竟家居句作ノ為ナラント近来頻
   リに写生ニ出カケ居リ候、天文ニアレ
   動物ニアレ句ニ綴レバ皆主観ニレア句
   ニ綴レバ皆主観ニ落チ如何トモ致シ方
   無之閉口致シ居リ候
 
  要約すると、「日本俳句に投稿する段になって再吟味すると僅かに2・3句しか残らないし、1句も残らないこともあること」「客観の句よりも主観の句を好むのは最初に短歌の抒情趣味に親しんでいたからであること」「家の中で句作するのがほとんどであったので、最近は外に出て写生するようにしていること」というようなことを述べている。
 
   六花子小生ノ句ヲホメラレ候由、今ニ
   シテ思ヒアルタルコト有之、生初メ六
   花子ノ句ヲ好ミ、頻り其調擬シ、六花子
   ノ句トイヒバ写シ候程六花ニカブレ来
   リ候へ者自然ニ或点ニ基調ヲ同ジウシ
   タルナルベク六花子ノホメラレタルハ
   其ノ自己ノ調ニ似タルヲ以テナラント  少々可笑シクモ有之又肝胆相照ストデ
   モ申サンカ甚ダウレシクモ存ゼラレ候
 
  乙字の書簡には六花子が春又春の俳句を褒めていたこともつづられていたが、「実は自分は六花子の句を目にしては写してきていたので、六花子が気に入るのは当然である。少々こそばゆい気もするがうれしくもあることだ。」とその心境を吐露したのであった。
  筆者は、春又春の交際範囲がかなり限定的であると思い込んでいたのであるが、こと俳句に関しては、中央俳壇や東北俳壇の俳人と広く交流を持っていたことが判明した。
  その方法は、三題集といって、幹事を選んで各地の俳人に題目を通知し、期限を設けて幹事宛てに作品を送らせ、それらをまとめたものが再度各人に順番に回しながら互選するやり方である。
  全員に回って幹事に戻ってきたときに最高点の句がわかる仕組みとなっている。遠方の俳人がわざわざ会場に集まらなくとも運座ができるように考案された句会である。これも明治の郵便制度の発達によってもたらされた新しい句会の方法であったのだ。三題集を通して春又春と交流があった歌人・俳人は次のとおりである。
     
  「日本及び日本人」表紙  
 
「日本及び日本人」表紙
 
 
  大須賀 乙字(おおすが・おつじ)
   明治14(1881)年生まれ、福島県
  出身。東京帝大卒。
   河東碧梧桐門下。「アカネ」発刊に参画
  喜谷 六花(きたに・りっか)
   明治10(1877)年生まれ。東京市
  出身。哲学館(現東洋大)卒。
   河東碧梧桐門下。自由律の革新派とし
  て活躍。六朝風の書家
  菅原 師竹(すがわら・しちく)
   文久3(1863)年生まれ。宮城県
  登米出身。
   河東碧梧桐門下。東北俳壇で活躍。
  中村 泰山(なかむら・たいざん)
   明治18(1885)年生まれ。青森県 野辺地町出身。立命館大法律科卒。
   河東碧梧桐門下。「青森県俳壇私録」
  を「東奥日報」に発表。
  広田 寒山(ひろた・かんざん)
   生年不明。仙台市生まれ。医学博士・ 東京医専教授。
   河東碧梧桐門下。のち乙字のもとで自
  由律の句を吟ずる。
  安斎 桜●(石へんに鬼)子(あんざい・おうかいし)
   明治19(1886)年生まれ。宮城県
  登米出身。
   同郷の俳人師竹に師事。新傾向派の俳
  人。自由律俳句を提唱。
 
  その他秋田県の柴田紫陽花(しばた・あじさい)、青森県青森町の岩谷山梔子(いわたに・くちなし)、秋田県刈和野の五木田告水(ごきた・こくすい)、青森県の野坂十二楼(のさか・じゅうにろう)といった俳人とも交流があった。

  このように見てくると、春又春は独り盛岡の地にこもって句作に励んでいただけではなく、新派俳句の「日本及び日本人」への投稿、「日本俳句鈔」への句掲載を契機に東北の俳人と広くかかわりを持ち、句作の腕を磨いていたのである。


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