盛岡タイムス Web News 2013年  7月  3日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉178 三浦勲夫 サンザシ


  近所の散歩コースの並木は5月後半に赤い小さい花をつけていたが名前が分からない。最初、「サンザシ」という名札が付いていた。それがいつの間にか外され、そのままになっている。サンザシではないらしい、ということを妻が言い始めた。サンザシとは「灌木で、とげがあり、バラ科で、梅に似た花をつけ、秋に黄色い実をつける」。そうネットの資料で解説されている。写真を見ると、近所の裏の通りにその通りの植物があって白い花をつけている。これがサンザシらしい。

  夫婦で犬と散歩するたびにサンザシとは何かの話をこの1カ月余り、何となく続けていたが、彼女が言うとおりだった。正体が分かって安心した。しかし肝心の並木は何の木かが問題として残る。「何だろう?ナンジャモンジャ」ということで行ってみたくなったのが岩手大学農学部構内にある珍木「ナンジャモンジャ」だった。行ってみると花の季節はすでに終わっていたが、以前その白い花は見たことがある。「ナンジャモンジャ」が本当の名前なのだろうか?本当は何だろう?それがまた気になる。

  物の名前の由来は面白い。カンガルー、オランガタン、カナダなど逸話があるが、ここでは立ち入らない。しかし、物の名だけ覚えていて、その名の持ち主(指示物)を知らないことが多い。物心がついて、さまざまな名を覚える。しかしそれが指示する実体を知らない。気にならないうちは覚えようともしないで知ったつもりでいる。

  自分が30歳を過ぎて名前と実体を結びつけた物は数多い。ヒバリ、クイナ、ニセアカシヤ、カワセミ、オダマキ、スズカケ、ハチドリと数え上げればきりがない。名前と実体が伴わない、「名実伴わぬ」関係を見ると、実だけを知っていた物、名だけ知っていた物、名も実も知らなかった物。こんなふうに分かれる。名だけ知っていて初めてその指示物を見た時は感動したものだ。フクロウ、イタチ、キツツキ、カワセミ、ヒバリ、ハチドリなどである。

  イギリスやアメリカやオーストラリアやカナダという国も入る。京都、奈良、大阪、福岡、熊本などという日本の都市も入る。名前は何度も聞いており、写真もたくさん見ているが、自分で見、聞き、触れて、となると自分にとっての実体験は長い間なかった。人の場合だと、名前、外観、内面、性格、考え方、と知るべき内容が複雑である。人を見る目がないと社会に出て失敗したり、危険に陥ったりする。

  こうして見ると自分の周りには未知の物がいかに多いかが分かる。生半可な理解も含めて自分は不確実な世界に生きている。自分が本当に知っていることは微量である。そのような人間が寄り集まって生きているのが社会である。自分の不足を他人が補い、他人の不足を自分が補う。夫婦、家族、町内会しかり。犬とともに散歩して町内の人たちをよく知った。同時にこちらも知られた。町内がかくも変化の多い所だとはそれまで知らなかった。知ろうともしなかった。犬という動物についても彼を通してかなり学んだ。人は物を知らないという点で「不完全」な存在だが、頭を使い、足を使い、動き回り、話し合い、世界との接点を多くして成長する。これも「われ思う故に我あり」か。
(岩手大学名誉教授)


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