盛岡タイムス Web News 2013年  7月  18日 (木)

       

■  〈風の筆〉9 沢村澄子「雨男」


  梅雨時に思い出す男のことである。

  書道科を出て高校に勤めた。数年目、全国大会で授業について資料発表した。それがある書道雑誌に三カ月にわたり転載されていることを、わたしは全く知らなかった。

  ある書展会場を歩いていて「女のすることはすごいな」と、すれ違いざまに言われた。何でも、その人の先生の作品をその雑誌に載せるのに15万円かかった。弟子の自分はこんなに苦労しているのに、オマエは大きく載って何だ、という言い掛かりである。

  編集部に電話したら、「タダで載せた。感謝されても文句を言われる筋合いはない」で、さらには「300という論文の中からキミのを選んだのは私だ」と感謝を求めてくる。「そんな体質だから、まっとうなことが育たないのだ。いい論文、いい研究者を望むなら、金を出してでもそれを育てようという気はないのか」と25歳のわたしは怒った。

  翌日、速達でその雑誌と念書が届いた。裁判に訴えられても仕方なし、との手紙と。

  そんな面倒を起こす気は毛頭なく、どこかの先生の作品が確かに小さく載っているのがおかしくて、少し気の毒だった。その前のページにわたしの作文がべらべらとある。目次に自分の名前がでかでかと載っているのが奇異な感じ。

  それから、その編集長からうるさい電話が来るようになった。わたしの個展のDMに「著作権は大丈夫?」などと言う。そのおかげで著作権を学んだが、逐一ウルサイ男!と気に障り、生意気な女!と、向こうもやはり怒っていた。

  それでもやがて仲良くなった。会ったのは東京でのグループ展の際の一度だけだったが、意地悪な電話のやり取りのうちにも互いを見つけることはでき、時々わたしはなぜ彼がそこまで書に関わりたいのかを不思議に思った。

  数年して、「くだらない」とわたしに連呼されていたその編集から離れ、彼は独立して新しい雑誌を作った。資金繰りから何から何まで、まさに寝ずに自転車をこぐような仕事ぶりだったが、その紙面の充実には目を見張った。

  しかし、やはり度を過ぎていたのだろう。ある月の編集後記に「胃が痛む。悪夢にうなされる」と書いて、その翌々月に彼はこの世を去る。

  わたしはぼんやりと、テキトーに生きようと思った。

  その頃、高松に住んでいたので上田商店街によく買い物に出掛けたが、ある日その途中で雨に降られて自転車ごと雨宿り。アスファルトにたたきつけられる雨脚を見ているうちに泣けてきたのである。

  梅雨に死んだ男。戦友を失くしたわたし。

  やはり聞いてみたかったのは、なぜそこまで書の本を作りたかったのか。命を縮めてまでの価値を、彼が書のどこに見いだしていたのかである。

  最後の声は公衆電話からで、後ろでセミがうるさく鳴いていた。「東京は暑そうだね」と言ったら「盛岡は涼しいの?」と聞いた。「うん」と返したら声をたてて笑った。

  そんなことで笑うなんておかしい、と、哀しくなって受話器を置いて、それからもう10年以上がたつ。

  以来、梅雨になると、本当に後悔はないかと、わたしが誰かに問うのである。今年もざんざか雨が降った。
(盛岡市、書家)


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