盛岡タイムス Web News 2013年  9月  2日 (月)

       

■  〈幸遊記〉139 大給桜子の女子ジャズ 照井顕


 ジャズピアニスト故・大給桜子さんの生演奏を初めて聴いたのは1985年1月、所は六本木「ボディ&ソウル」。所用でちょうど上京した日の夜に出演するのを情報誌で見て演奏を聴きに行った。演奏はレコードの何倍も素晴らしく、感動したことを、今でも彼女のレコードを聴くたびに思い出す。以来、僕は幾度となく彼女のコンサートやらライブを企画し、陸前高田や盛岡に来てもらったものでした。その最大のステージは、穐吉敏子ジャズオーケストラがトリを務めた時の日本ジャズ祭(89年・陸前高田)。

  1949(昭和24)年12月25日、それこそ新潟の高田(上越市)生まれ。父が大学の音楽教授だったことから小さい時からピアノを習っていたが、ピアノが嫌いな子だった。それがどうしてジャズピアニストになったのかといえば、高校を中退し20歳過ぎてもまだ目標定まらずにいた時、上京して聴いたジャズの生演奏がきっかけだった。

  「以来、さまざまなことを解決してゆくその積み重ね。ジャズを演奏するってことは最低でも同時に四つのこと、譜面やテーマを確実にやれて、その中で個性を出し、すごく大切なリズムや、アドリブという即興をやっていかなければならないから大変なの」。そう話してくれたのは87年の夏。

  当時「東京でも純粋に演奏がやれて聴かせられる店は、「ピットイン」「アケタの店」くらいしかなく、ほとんどの店はそうじゃないから、地方の方が仕事に行くって感じ。行く方も迎える方も力がこもっているから朝から違う感じ。ステージって演奏する側と聴く側で創っていくものだから」と、地方の聴きたい僕らの気持ちもくんでいた。

  「自分を空しくして誠実に」をモットーとした大給桜子さん(1949〜97)に当時女性演奏家の少なさを尋ねたら「余裕のなさ。ヒステリック。小さくまとまる。乱れる。共演者の気持ちが分かんなかったりとかがもろに出る演奏をしちゃうから」と自戒を込めて言ったことが思い出される。あれから4半世紀。大先輩、穐吉敏子さん(今年84)は67年も前の最初からその欠点を克服していたパイオニア。今、世界のジャズシーンは女子ジャズブームである。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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