盛岡タイムス Web News 2013年  9月  14日 (土)

       

■ 徳丹城出土品など4件 木製冑と琴を指定へ 県文化財審が答申

     
  徳丹城跡から出土した木製冑  
  徳丹城跡から出土した木製冑
 

 県文化財保護審議会は13日、矢巾町の国史跡徳丹城跡から出土した7世紀製造の木製冑(かぶと)、徳丹城造営(812年)前に製作された琴の天板、滝沢村の湯舟沢環状列石、大槻玄沢と子の玄幹、磐渓、孫の文彦の大槻家3代の著作本の版木(一関市)、奥州市水沢区にある県内最古の姉体庚申塔の4件の県文化財指定を答申した。今回の4件が正式に指定されれば県指定文化財は366件になる。

  徳丹城は東西354・3b、南北355・9bの規模で、志波城を移転造営した城。正殿は間口が5間で奥行きが2間、四面庇(ひさし)が付いている。

  木製冑は2006年の徳丹城第65次調査で井戸跡から出土し、武具として役割を終えた冑を井戸おけとして再利用したとみられている。保存処理の過程で樹種はトチの木であることが判明。大きさは横24・5a、幅20a、高さ16・8a、深さは14・9a、厚さは2aほど。乾燥させた丸太を縦に2分割し、頭部は樹皮側、下側が分割した年輪の中心部分になっている。

  表面には漆が塗られ、縁には錏(しころ、首の周囲を防護するもの)を装着したと思われる22個の穴跡がある。左側の側面には大きな切り込みがあり、これが武具から外された理由と矢巾町教委では推定している。

  出土した井戸跡は、城の西側の工房群で使用していた深さ1・1bの浅井戸であることも判明している。水もれを防ぐため22個の錏穴が繊維質のものでふさがれたようだ。

  徳丹城の廃城後、井戸を使っていた職人たちもいなくなり、水おけとしてつながれていたひもが自然に切れ、一定して井戸水に浸かっている状態で長い年月を経て、その形を保ち続けてきた。

  矢巾町教委の西野修文化財係長は「武具は国家が台帳に付けて厳しく管理していた。工人たちが使っていた井戸から出土したが、武器庫から勝手に持ち出して水おけに転用するということは絶対できなかったはず。台帳からの抹消手続きを経て、払い下げられたのではないか。木製冑は幾つもの偶然が重なって、形を残した。この冑は古墳時代の要素を多く残しており、平安時代に大鎧(おおよろい)の冑が登場するまで400年間不明だったが、歴史の空白を埋める遺物」と語っている。

  琴は同じ井戸で木枠として使われていた。完全な姿ではないが横は85・3a、幅は最大で14・7a、厚さは1aから1・4a。年代は明らかになっていないが、井戸枠に転用されていることから徳丹城造営以前と推定されている。

  使用した樹種は、古代の矢巾町にはないモミ。古代の琴では国内最北から出土している。古代において琴は楽器としてだけでなく、何らかの儀式で使われていたとみられている。(8面にその他の文化財)

 


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