盛岡タイムス Web News 2013年  9月  18日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉351 伊藤幸子 「名月や」


 名月や坐にうつくしきかほもなし
                松尾芭蕉

 元禄3年(1690)8月の名月の夜は、芭蕉の門人たちが、粟津義仲寺の無名庵に集って月見の句会を催していた。このとき翁は発句に「名月や兒(ちご)たち並ぶ堂の椽(えん)」と「名月や海にむかへば七小町」そして掲出句、さらに「月見する坐にうつくしき顔もなし」の4句を出し、門人たちに推敲の経緯を説いたと伝えられている。初めは琵琶湖の湖水に向かって謡曲七小町などの幻想美を詠んでいたが、しだいに華美をとり除いた「坐にうつくしきかほもなし」の境地を得て満足する。「こうこうと照る名月のもと、座中いずれも美しい顔はなく、ただ侘(わび)しい月見の席である」と、月光の美を強調している。

  芭蕉といえば「名月や池をめぐりて夜もすがら」が有名だが300年余を経ても人々の心に新鮮な感動を与える作品には、くり返し推敲し、時には切り捨てる潔さもなくてはならない。元禄4年は8月が閏(うるう)月で、名月を2度見られたという。

  「名月はふたつ過ぎても瀬田の月」閏8月18日、蕉翁が弟子たちと瀬田の水面に舟を浮かべて夜すがら放吟したさまが伺われる。「二度も名月を愛でたけれども、なんといっても瀬田の名月は最高よ」との声が聞こえる。

  「米(よね)くるる友を今宵の月の客」吉田兼好が「徒然草」に「よき友三あり、一には物くるる友」と興じたのをふまえ、翁のユーモア。わが茅屋(ぼうおく)にも時々取りたての野菜が届く。朝露もみずみずしく、物はあれども人の影なし。礼のすべもしらずこうべを垂るるのみ。けさは見事なゴーヤが3本。心あてにお礼の電話をすると「いや、おれでねえ。沖縄の方から来たんじゃねえか」と大笑い。なんだかバツの悪い思いに恐縮した。

  「おもかげや姨(うば)ひとり泣く月の夜」これはまた、信州姨捨山伝説の悲しい老女。私など全然草取りさえしないのに、四季、頂き物に養われている果報者、深謝の日々である。食い扶持(ぶち)を稼げなくなったら山に帰るという歴史と経験から得た人間の定理がそびえたつ。

  知っているようでおぼろな芭蕉の生涯、正保元年(1644)伊賀上野(三重県)生まれ。29歳で郷里を離れ、江戸での暮らしが長くなる。「奥の細道」はじめ漂うように旅に出て元禄7年、51歳にて病没。「他郷すなはちわが故郷」が口癖であったという。私は元気な芭蕉の、この月見の句会が大好き、何度も推敲する思案顔が浮かぶ。9月19日は十五夜だ。
(八幡平市、歌人)


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