盛岡タイムス Web News 2013年  10月  1日 (火)

       

■  〈イタリアンチロルの昼下がり〉184 及川彩子 南チロル国境の町


     
   
     

 秋晴れの9月、夏の名残を惜しみながら、私たち家族は、週末の午後、車で南チロルの中心の町ボルザーノへ出掛けました。人口10万人でイタリア語とドイツ語が公用語。イタリアで唯一、小学校からドイツ語教育が義務付けられている国境の町です。

  ここアジアゴから、アルプス方向に北上、3時間かけ、標高1300bのブレンナー峠を目指しました。かつてはモーツァルトやゲーテも馬車で越えた峠に広がるのは、リンゴ、ナシ、モモ、ブドウの広大な果物畑。

  この周辺は、イタリアでも最大の果物産地。紀行文学の最高傑作「イタリア紀行」を著したゲーテも、この地で果物を楽しみ、特に、当時のドイツにはなかったイチジクに心奪われたと記しています。

  次第に緑の丘陵地、切り立った岩山…道路標識が伊独2カ国語になると、宿場町として栄えたボルザーノに到着。ゲルマン的な切り妻の建物、ウィーン大聖堂にも似た教会…ドイツ人観光客であふれる街を歩くと、聞こえてくるドイツ語は、本来のそれより軽やかで独特な響きでした。

  「チロル」とは、ここからオーストリア・アルプス一帯の総称。昔ボルザーノを支配していた「チロル伯爵」の名が由来。そのアルプスの岩塩や銀の富が、ウィーンの芸術の源になったとも言われます。

  以来、世界第一次大戦で国境が引かれるまで、さまざまな歴史に翻弄(ほんろう)されますが、今も受け継がれる誇り高きチロルの地域主義は、イタリア政府をも震え上がらせていると聞きました。ボルザーノを支える中小企業・農民を中心とした「南チロル人民党」は、特別な地域精神を示しているのです。

  「イタリア名物だ」とゲーテが小躍りして歩いた野外市場には、シチリア産のオリーブと一緒にドイツの塩パン〔写真〕が並びます。 チロルのボルザーノは国境であって、国境などないに等しいのでした。
 


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