盛岡タイムス Web News 2013年  10月  7日 (月)

       

■  〈幸遊記〉144 照井顕 小曽根真のメイケッツ・ハプン


 天才的な日本人ジャズピアニスト現る!みたいに、テレビで映され、ニューヨークのカーネギーホールでピアノを弾く小曽根真さんがクローズアップされたのは1983年9月、米音大卒直後のこと。日本人で初めて米CBSと専属契約を結び、ゲイリー・バートン(ヴァイブ奏者)のプロデュースにより、デビュー作「OZONE」を発表(日本では翌84年6月発売)されて好スタートを切った彼。

  ジャズピアニストの父、宝塚出身の母との間に神戸で1961(昭和36)年3月25日に生まれ、子どもの頃にハモンドオルガンを習った。11歳(小6)の時来日したオルガニスト、ジミー・スミスのコンサートを父と聴きに行き、ジミーと知り合いだった父と楽屋を訪ね、そこにあったピアノでジミーの得意曲「ザ・キャット」を弾いたら、ジミーが連弾で伴奏。「Fのブルース」では、ケニー・バレルがギターで加わり、イリノイ・ジャケーがテナーサックス、アート・ファーマーがトランペットで加わりジャムセッションになっちゃった!と僕に語ってくれたのは、それから20年後の1991年のことだった。(超凄初体験談)

  その後イリノイは、父にこの子をアメリカに行かせろと言ったという。その翌年、オスカー・ピーターソンのピアノに魅了され、高校を卒業するとバーグリー音大に留学。フェア・グッド・ベリーグッド・エクセレントの4段階に振り分けられる聴音テストでただ一人完答して、トップクラスで作編曲を学んだ。卒業後、ジャズピアニストとなった彼だが、本当は穐吉敏子のビックバンドを聴いて憧れ、ビックバンドの作編曲家になりたかったのだとも。

  入学してすぐの頃、イリノイがボストンのジャズクラブに出演した時、聴きに行き「あの時あなたがアメリカで勉強せい!と言ったから、今来て勉強している」と言ったら、次のステージに1曲登場させてくれて、来週はニューヨークの名門ジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」に来いと言われ、そこでも演奏させてもらい、感激!「だが、学校では誰も信じてくれなかった」と言う。「ジャズは即興でどれだけいい音楽を作っていくかってことが『メイケッツ・ハプン』だから、何かを起こしてゆく、何かをハプニングさせるってのが僕はジャズだと思う」と言った彼は今もそう生きている。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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