盛岡タイムス Web News 2013年  10月  31日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉78 菊池孝育BCSC報告書の内容4


 BC州保安委員会の設置(CREATION OF THE BRITISH COLUMBIA SECURITY COMMISSION)

  国の内外からの攻撃に対する備えを万全にせよ、との世論が沸騰すると同時に、BC州選出の国会議員たちの猛烈な政府非難が起こった。また新聞は政府の無策を憤慨する報道キャンペーンを敷くに及んで、カナダ政府はやっと明確な行動を起こしたのである。

  1942年3月4日、カナダ政府はBC州保安委員会を設ける政令1665および1666を発した。その主たる業務は、BC州の戦略地域から全ての日本人種を追放することであった。「戦略地域」は既に、政令365によって「防衛地域」と発表されていた。

  委員会の権限は委員長と2人のアシスタント・コミッショナーに付与され、委員長の有能な指揮のもとに、本委員会は機能し始めたのである。彼らの氏名は次の通りである。

   ◎委員長
    オースティン・C・テイラー

   ◎アシスタント・コミッショナー
    F・J・ミード
   ジョン・シラス

  委員長は、BC州の傑出した実業成功者であり、2人のアシスタント・コミッショナーは、警察関係の高官であった。日本人の状況については広範な知識を持っていた。2人はそれぞれRCMP(連邦警察)とBC州警察からの出向者である。

  本委員会はさらに、州内のさまざまな階層から選ばれた20人の市民からなる諮問委員会によって補佐されていた。

  20人の諮問委員名(省略)

  その一 本委員会の任務(Duties of Commission)

  委員会の直面した課題は困難なものであった。2万3千人以上を彼らの家庭と生活基盤からむしり取ることは、大変な労力を必要とした。彼らを諸問題が未解決のまま、未知の土地に、しかも敵意に満ちた環境に移す仕事は、実務運営経験のみならず深い洞察力が求められた。

  このような大移動を実行するため早急に諸部局が作られ、諸計画が策定された。実行のスピードは不可欠であったが、移動によって傷つく人々の不満感を、最小限に抑えることも望まれた。

  その二 移動者集結所の設置(Establishment of Clearing Station)

  この途方もない任務の最初の段階で、本委員会が行動に移ったとき、このように短期間に、しかも統制された移住は、かつて、歴史上起こったことがないことを知った。この北米大陸の図書館には、強制移動関係者が最初に何をなすべきか、指針となるべき参考資料が皆無だったのである。

  このあらかじめ決められた計画の実行適任者の選抜は速やかになされ、大人数の日系人の恒久的居住地が見つけられるまで、彼らを一時的に収容すべき集結センターを、早急に設ける必要性が判明した。

  結局、バンクーバー市のヘイスティングス・パークとして知られていた土地建物(広大な土地とその敷地内に配置されていた数棟の常置展示用建物から成り立っていた)が、防衛省によって接収されてBCSCに引き渡された。それが日系人の移動者一時集結所に供されたのである。


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