盛岡タイムス Web News 2014年  4月  21日 (月)

       

■  〈元記者の雑記録〉26 向井田郁子 一人一石の道


 3年前の東日本大震災大津波で、南北両線ともずたずたに壊され、列車が走れる状態でなかった三陸鉄道が全社員一丸の頑張りで全長107・6`が開通し、1121日ぶりで列車が走った4月5、6日は県内ばかりでなく全国のメディアが春らしい明るい話題に満たされた。

  調子者の私などはまるで自分が祝福されているような錯覚を覚えて思わずうきうきした気分になったものだ。

  各駅で列車が止まる都度、旅人を歓迎する地元の人たち、そして歓迎の旗波に迎えられ、駅に降り立つ人々の表情に、かつて自分も列車に乗って沿岸を訪れた現役時代を思い出した。そして思ったことはリアス線のレールの下に沿線住民が一つの石に自分の名前を1人分ずつ書いて、鉄道開設実現の願をかけて積み上げたことがあったということ。

  バラストになった石に自分の名前を書いて線路の下に敷き詰めた人たちは今、どうしているだろうか?その石は今も線路のどこかに生きているのもあるのではないか。それが今度の復興のエネルギーになったのではないか。

  1984年4月に開通した三鉄南北リアス線の線路に沿線住民が自分の名前を手書きして埋めた石を見たのは1999年4月。

  三鉄開業の年に生まれた女子中学生(当時)を一日駅長に迎え、宮古発久慈行きの列車を見送るなどのセレモニーの後、ギャラリーのある小本駅まで行ってみた。

  震災前の当時、小本駅はホームから東側に小本川河口の「日本一(堤体の)長い」堤防や国道沿いの漁協ビルなどを通して海が見える場所にあって、駅舎2階がギャラリーになっていた。

  沿線住民に「開かれた」経営を目指していた三鉄とあって、この日もギャラリーでは三鉄の社員ばかりではなく、鉄道の利用者も含めた人たちの作品展が開かれていた。

  盛岡市の菊地如水さんも三陸の風景を指で描いて仕上げたという藍染画を出品していた。そのほかにも油彩画、水彩画、写真、書などが展示されていたギャラリーの一画に石を入れた箱が展示されていた。

  箱の中の石を見ると、みんな人の名前が書かれていた。見た瞬間、開業にこぎ着けるまでの間の地元の取り組みを報じた古い新聞記事を思い出した。

  岩手は四国四県にほぼ匹敵する、と言われるほどの広さを持ちながら、交通、情報インフラの整備が遅れているため、貧しさを強いられるのが県民の悩みの種だった。

  内陸と三陸の海を結ぶ交通網については盛岡〜宮古〜釜石の山田線、一ノ関〜宮城県気仙沼〜盛の大船渡線、八戸〜種市(洋野町)〜久慈の八戸線と3線の鉄道があるだけで、170`余りの海岸線を1本につなぐ鉄道線は一本もなかった。

  この3本の横線を1本に結び、沿岸の国道45号と並行する鉄道を、というのが沿線住民の長年の願いで、「縦貫鉄道を1日も早く実現したい」というのが、昔からの岩手の人たちの願いだった。

  岩手を地盤として立った歴代政治家たちはいずれも、「三陸縦貫鉄道の一日も早い実現を」というのが決して選挙対策だけではない公約としての口癖だった。

  ところが、中央に行くと、こういう東北出身の政治家たちの熱弁は何かと他県の政治家たちから「我田引鉄」「鍋づる線」とか「山猿乗せる山田線」などと悪口を言われるのが常だった。それでも粘り強い運動の末、鉄道が着工の運びまでこぎ着けると、そのつど、「三陸の地震津浪」と戦争が交互に襲ってきては、工事を途中で遅らせていた。

  着工してもいつ完成するか分からない線路の行方に政管民ともに業を煮やした地元が、昔の人が集落の安全や多幸を願って、経文の一字を石に書いて地中に埋めた「一字一石経」にならって、鉄道開通の願を込めて自分の名前を石に書き、いつまでも予定線のままになっている空き地に予定線沿線の市町村長が先頭に立って住民と一緒に名前の書かれた署名石を埋めるアピールを行った。

  こうした運動の積み上げが実って、1984年には「三陸鉄道」という全国初の国鉄転換三セク鉄道として出発した。後に旧国鉄が分割民営化され、全国バラバラにされ、JRという名の組織に代わった。

  「三鉄」の愛称で出発進行した「三セクの三鉄」も地元の定住人口が少なければ季節の企画旅行で交流人口を増やし需要を増やすなどして地方の足を守っているうちに、2011年3月11日の東日本大震災では千年に1度の大津波に線路も駅舎も完膚(かんぷ)なきまでの被害を受け、その後3年間の休業を余儀なくされた。

  全国に数ある鉄道の中でも政財界の限りない条件整備の支援を受けて成長してきた県外大都市の鉄道と異なり、まるで破産を待望するような世論の大合唱のトンネルをくぐってきた中での大災害を乗り越えての三セク鉄道の復帰に対する地元の人々の感動はひとしおだったに違いない。

  その陰には時代を超えて逆風と闘ってきた、多くの人たちの思いがレールの下の石の中に一人ひとりの名前とともに埋まっている。その中には今度の大震災で犠牲になった人たちの名前も含まれていよう。


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