盛岡タイムス Web News 2015年  10月 3日 (土)

       

■  〈体感思観〉大型店と地域のいとなみ 飯森歩


  約1カ月前、ある住宅地のスーパーが閉店となった。前身の店から50年以上「身近なスーパー」として親しまれ、周辺住民からは「困る」と存続を求める声が多々上がった。徒歩や自転車で来店する高齢の客が多く、他店だと徒歩で30分かかると嘆いていた。

  閉店の理由は区画整理だが、大型店の出店や買い物の多様化により、10年以上不採算状態で営業していたたという。赤字状態に関わらず続けた理由を、同店の運営会社は「地域住民のため、地元企業の責任」と説明した。取材を進めその意味と、買い物は人と社会のつながりを生む大事な習慣になると知った。 

  手押し車で来店した90代の女性は「一人で行ける店はここだけ。子どもと孫と暮らしているが、昼食ぐらいは自分で用意したいとパンと牛乳をよく買いにきていた」と、なるべく家族の負担になるまいとする姿勢を見せる。そして「家族が食べているおいしそうな菓子をここで見付けて買ったりね」と弱々しく笑う。

  年を取り体が不自由になれば他人の世話にならざるを得ない。「少しちょうだい」の言葉にためらいを感じることなど珍しくないのかもしれない。自分の足で自分のための品を購入することは、年を重ねるほどに価値が増すのだ。

  外の風にあたって季節の移ろいを知り、知らない人を見て、物の値段を確かめること。買い物は社会の一員≠ニ感じられる大切な習慣となる。配送やネット販売などでは得られない生きる実感。その店があるだけで人の尊厳を満たす手助けをする。

  同店を「散歩の目的地として利用していた」という人も多く、買い物とは物質的豊かさや手軽さを追求することが全てではないと分かる。

  あるスーパーは自治体と連携し、移動販売車を開始した。高齢者の「見守り役」の機能を果たし、買い物に出向いて商品を選ぶという行為を重要視したらしい。

  単なる食材の買い出しが社会とのつながりと化し、大事な習慣になることを想像できる人は多いだろうか。今こそ、身近にあるスーパーのありがたみを再認識してほしい。好きな時に気軽にものを買いに行ける喜びや安心感は、そこに店があってこそ得られるのだから。


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