盛岡タイムス Web News 2016年  1月 18日 (月)

       

■  〈幸遊記〉262 照井顕 水本義美の青春時代


 かつて盛岡の音楽シーンの中心を担った「東山堂楽器店」にはすご腕のプロデューサーがいた。その人の名は小川道子。今は札幌にいるらしいが、夜間の杜陵高校を出た方で、彼女抜きにして盛岡の音楽史は語れない!と、熱く僕に語るのは、かつて東山堂で働いていた水本義美さん(67)。彼は今、東京でタクシーを運転しているという。

  彼が開店間もなかった僕の店に現れたのは東山堂が主催するコンサートや映画「真夏の夜のジャズ」上映会などの宣伝のためだったから1970年代中ごろ。以来さまざまなシーンで出会い続けてきたが、彼は岩手高校から東海大学文学部日本文学科へと進み、出身が盛岡、八戸、新潟の文学生同士で組んだバンド「花古事記」の人気が高くて、ナベプロからお声が掛かったほどだったらしい。

  卒業後盛岡に戻り東山堂に入社したのはあの伝説のカーメン・マクレー、カウント・ベイシー共演の1973年11月18日開催(幸遊記第191回)直前の10月だったという。コンサート当日は大雪で彼女らが駅に着いたのは開演時間を過ぎてしまった午後6時30分、しかも楽器や衣装が届かず、ベリーファイン(売り物の楽器)を用意して、彼女は着て来たオーバーコートのままステージへ、チケットは前売りで1500枚を超えギャラは300万だったという。

  僕は昨2015年、東京でその時の全国ツアーパンフを入手(何と5000円)それによって先の幸遊記への記述間違いが分かった。前日の会場は函館ではなく、札幌厚生年金会館。盛岡の次が秋田県民会館。また21日新宿厚生年金会館のコンサート後と書いたのは渋谷公会堂でした。公演は11月10日茨城から30日宮城まで20公演。招へい元「もんプロダクション」は「神原音楽事務所」(もんプロの故・西陰嘉樹社長は当時神原事務所でジャズを担当していたのでした“1971〜74”)と歴史は「論より証拠」を「痛感」した次第。

  水本さんはその後独立、「キャノンボール」というジャズレコード店を経営後、CMの仕事に就き、のちCMパークを立ち上げたりした人。学生時代にレコード店でバイトした時、加山雄三の妹さんがレコードの注文しに来て、その上原家に届けに行って、彼女にコーヒーをごちそうになったなぁと懐かしむ。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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