盛岡タイムス Web News 2016年  1月 25日 (月)

       

■  〈幸遊記〉263 照井顕 村井秀児のミスターベースマン


 皆が愛を込めて「シュウチャン」と呼ぶベーシスト村井秀児さん(1949年12月5日生まれの66歳、B型)。今も時折本紙盛岡タイムスの出版物案内で紹介される「あの頃僕はバンドマンだった(北島貞紀著・2007年初版)」の北島さんが20年の封印を解き、「開運橋のジョニー」で毎月ライブをやり、初アルバム「アフタヌーンティー」CDをリリースした時も北島トリオでベースを弾いていたのが「シュウチャン」だった。

  ジャズベーシストといえば大きなウッドベースを想像するが、彼は珍しくエレキベース専門の人である。ピアノの北島さんは大阪で立ちんぼう(音を出さなくていい)ベースから始めたバンドマンだったようだが、ベースのシュウちゃんはピアノのオーディションから始め、ギター、そしてベースで定着したバンドマンだったらしい。

  「アンプのスイッチを切ったまま立ってるだけのベースマン(ベースラインはピアノが弾く)北G(島)より4年も早い、元祖?立ちんぼうだったんだよね!」そう言いながら彼は、北島さんの本ならぬ「秀ちゃんのあの頃僕は…」的な一冊の手書きコピー本を僕に差し出したのは2015年4月。表紙のコピー写真は今の本人から想像できない髪型と口ヒゲのお兄さん。「盛岡下小路中学一年の時の英語代理教員・沢藤精子さんの、今でいう歌で覚える英語の学習といった先進の授業内容」から、詩(歌)へ音楽へと入っていった彼の様子に納得した。盛岡三高から専門学校へ入学した彼は、立ちんぼうから叩き上げのベースマンとなり13年もの間、プロとして京都で活躍していた時期に「ウエストロード・ブルースバンド」「村八分」「RCサクセション」「スラッシュ」「キャロル」等々の創生期あたりの彼らとバンドでの接点があった様子が面白くつづられていた。

  盛岡に戻ってからは故・阿部哲(ハーモニカ)らと一緒に大船渡でのブルースコンサートに来て僕が司会した記憶。40代からクリーニングの営業を18年やりながらのバンド活動、定年後には警備会社に勤めながら、現在は六つのバンドで以前にも増してハツラツとベースを弾く秀れたミスターベースマンである。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)



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