盛岡タイムス Web News 2016年  9月  8日 (木)

       

■  城南の子が見た終戦 少女が描いた風景 盛岡疎開の川村さん(東京)の絵日記出版


     
   川村家の家族 左から父専一、次男敏郎、長男光郎、次女優子、長女純子、母いづみさんら(1943年撮影)  
   川村家の家族 左から父専一、次男敏郎、長男光郎、次女優子、長女純子、母いづみさんら(1943年撮影)
 

 太平洋戦争の終戦前後に盛岡市立城南国民学校の児童だった故・川村優子さんの絵日記が、1冊の本になった。川村さんは東京都世田谷区に住み2014年、79歳で死去した。絵日記を託された弟の光郎さん(79)が、図画を整理して活字に起こし、「少女が描いた風景」として出版した。戦中戦後の厳しい時代のもと、けなげに生きた少女の絵は明るく、文章が弾んでいる。

  川村さんの父は朝日新聞に勤務し、終戦の1945年の東京大空襲の後、家族で父の郷里の盛岡市に疎開した。優子さんは千葉師範学校男子部附属国民学校から盛岡市立城南国民学校に転校して終戦後に卒業、県立盛岡高等女学校併設中学校に進学した。

  家族はその後、静岡県熱海市に転居し、戦後は東京都内に戻った。盛岡市での生活は、戦時中の軍国主義教育が終戦後の民主主義教育に転じる時期にあたった。絵日記は優子さんが国民学校初等科2年生の42年から6年生の47年の夏休みと冬休みにつづった。4冊に分かれ、クレヨンと鉛筆で描かれている。

  城南国民学校5年生の冬休みの日記は12月29日から。

     
   日記に描かれた進駐軍(1946年1月29日)  
   日記に描かれた進駐軍(1946年1月29日)
 

  46年元日の日記は「今日はもう昭和21年だ。20年は日本人にとって忘れられない年だった。これからは平和日本を作り上げなければならない。今朝は、おぞうにをいただく前に、年の順からおとそをいただいた。私は、このおとそとおぞうにで、本当に私たちがこれからの日本を築き上げることを誓った」とあり、敗戦に伴う新しい価値観は、童心をも塗り替えた。

  絵は成長とともに上達し、人物の表情は変化する。構図や文体は家族関係を反映し、家の間取りがうかがわれる。戦時中の絵にサンタクロースが出てきたり、戦後の絵には進駐軍のジープが描かれ、「鬼畜米英」や焼け跡の世相も、子どもは明るく見詰めていた。

  盛岡市の大通にあった闇市を訪れた際の感想として、「あってもなくても困って、真っ暗で、まぶしくて、手がでないで、手がでるもの」という謎かけを書いている。戦時中の禁欲からの解放を目の当たりに、少女はひとつ大人になっていく。

  光郎さんは幼い日々の姉の記憶に接し、「少女が発したこの単純明快かつ当たり前な言葉の意味と重さをもう一度かみしめたい」と、平和への遺言として受け取っている。

  東京都の駱駝舎から出版。第1版は品切れ。増刷を予定している。問い合わせは川村光郎さん(電話080―5034―8394)まで。


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