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お先棒担いだモッコ運搬
農園作業のほかに、時間割中には週1時間(冬季2時間)の作業時間があり、そのときには、農園で収穫した大豆の豆とりなどのほか、校庭の草とり、廊下の掃除、銃の手入れなどがあった。また冬の前、あるいは冬の間は、ストーブにたく薪を山から運搬したり、運搬した薪(まき)を鋸(のこ)でひき、またまさかりで割る作業が主であった。薪割りは学科の授業がつぶれたときにも行われている。
予定されていた屋外作業が雨でできないときには、代わりに「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」とか、「宣戦の大詔」の謹書をさせられることもあった。
3年生までの3年間には、1学期の終りごろの2、3日間を用いて薬草採集が行われた。観武が原や種馬育成所付近に出かけて、うつぼ草や山人参をとってきた。また三馬橋付近に出かけてゲンノショウコをとって来ることもあった。時には学校の周辺でおおばこをとった。
昭和19年4年生の時の夏は、すでに松尾鉱山に動員中で行っていないが、薬草採集は全校行事であったから、低学年の人はこの頃同じことを行っていたかもしれない。
勤労奉仕は2年生以降になって始まっている。これがやがて拡大強制化されて、勤労動
員となっていくのである。 (つづく)
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