| 戦時下の盛岡中学 2 増田眞郎(昭和20年卒業生) | ||||||||||||||||
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入学
一、「教育勅語はいつ御発布になりましたか」 二、「支那事変が始まって今年で何年目ですか」 「名誉の戦死者をおまつりしてあるお宮はどこですか」
理科的な試問はともかく、それ以外の問に、現在の若者たちはどう答えるであろうか。当時12歳の少年であったわたしたちは、この試問に答えて盛中に合格した。
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| ■コラム「制服と制帽」 | ||||||||||||||||
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制服の歴史をみると、昭和10年ごろまでは黒一色のいわゆる小倉の学生服だが、12年ごろからは色が国防色つまりカーキ色、やがて制帽もカーキ色になった。 ところがわたしたちの入学した16年からは全国統一で、色だけでなくスタイルまで、制服は陸軍の軍服型(国民服と同型)、制帽も陸軍の略帽(戦闘帽)型となった。 しかし、盛中ではそれを強制はせず、新調できぬ者は古い型や色でも認めてくれた。 だから当時の写真をみると、さまざまのスタイル混在で、かえってそれが学友を思い出すのに役立っている。 クラスの呼称は甲乙丙丁だったが、襟(えり)章はABCD…。3年までは、年度末の成績順で平等に分けられたようである。4、5年は進路希望で、軍関係を軸に振り分けられたらしい。 特筆すべきは、始業終業の合図に軍隊用のラッパを用いたこと(旋律を紹介する)。吹いた人は赤鬼の愛称で親しまれた用務員さん。素晴らしい、懐かしい音色だった。(佐藤 洸) |
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