戦時下の盛岡中学   2    増田眞郎(昭和20年卒業生)

  入学

 わたしたちの入学試験は、昭和16年の3月20日から23日までの4日間にわたって行われた。学科試験はなく、口頭試問・校長試問・体育テスト・身体検査が課せられた。

 口頭試問は3日間にわたり、次のような質問群であった。
 

一、「教育勅語はいつ御発布になりましたか」

「その時の天皇様は」

「お勅語の中に億兆心を一にして、とありますがその意味は」

「それと似た標語を言ってごらんなさい」

「億兆と机の上に書いてごらんなさい」

「なぜ日本の人々が心を一つにしなければならないのでしょう」。

 二、「支那事変が始まって今年で何年目ですか」

「名誉の戦死者をおまつりしてあるお宮はどこですか」

「日本の新東亜建設をさまたげる国はどこですか」

「日本の仲の良いヨーロッパの国を二つ言いなさい」

「いま日本が蘭印から買いたいと思っているものを二つ言いなさい」。

  三、「あなたは何をどのようにして節約をしていますか」

「なぜ節約をしなければならないのでしょう」

「電灯に笠をかけるのとかけないのと、どう違いますか」

「火消しつぼに火を入れるとなぜ消えるのでしょう」

「日本の貯蓄目標は」。

 理科的な試問はともかく、それ以外の問に、現在の若者たちはどう答えるであろうか。当時12歳の少年であったわたしたちは、この試問に答えて盛中に合格した。

  合格発表は3月25日の午後であった。校舎に向かって左側、西側にあった生物教室の外壁に、受験番号と氏名を毛筆で縦書きにした巻紙が貼られた。

  入学式は4月1日に行われた。翌日、組編成のための学科試験があり、その成績によって甲・乙・丙・丁の4組に分けた組編成が4日に発表され、その日から授業が始まった。町を歩くとき、上級生に会うと、挙手の敬礼をすることになっていた。何とも面はゆかったが、また盛中に入った気分を十分に味わわせてくれた。

  以前作られた帽章の「中」は真鍮(しんちゅう)製のむくであったが、譲り受ける先輩がなく新たに買ったものは、真鍮板をプレスしたものだった。  (つづく)

ラッパの譜面

  ■コラム「制服と制帽」

  制服の歴史をみると、昭和10年ごろまでは黒一色のいわゆる小倉の学生服だが、12年ごろからは色が国防色つまりカーキ色、やがて制帽もカーキ色になった。

 ところがわたしたちの入学した16年からは全国統一で、色だけでなくスタイルまで、制服は陸軍の軍服型(国民服と同型)、制帽も陸軍の略帽(戦闘帽)型となった。

 しかし、盛中ではそれを強制はせず、新調できぬ者は古い型や色でも認めてくれた。

 だから当時の写真をみると、さまざまのスタイル混在で、かえってそれが学友を思い出すのに役立っている。

 クラスの呼称は甲乙丙丁だったが、襟(えり)章はABCD…。3年までは、年度末の成績順で平等に分けられたようである。4、5年は進路希望で、軍関係を軸に振り分けられたらしい。

 特筆すべきは、始業終業の合図に軍隊用のラッパを用いたこと(旋律を紹介する)。吹いた人は赤鬼の愛称で親しまれた用務員さん。素晴らしい、懐かしい音色だった。(佐藤 洸)


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