戦時下の盛岡中学   27    増田眞郎(昭和20年卒業生)

精神講話聞き雑草取り

十二、六原道場入場と海洋訓練
  わたしたちの時代には、修学旅行のような行事はなかったが、学年全員が行動を共にする機会は結構多く、その最たるものが勤労動員であった。したがって、今にいたるまで、学年内の結束には恵まれているといえるだろう。

   
   
     



  ただそれらの団体行動は、奉仕作業でないときは鍛練が目的だった。したがって、旅をしてまわるような楽しさは全くなく、従事している最中はむしろ苦しかった。

  六原道場入場は、3年生の1学期、昭和18年6月26日から7月2日までの7日間であった。「盛中の面目にかけて立派に錬成の目的を達成してまいります」との宣誓を校庭で行って出発した。

  6月26日
  午後2時半ごろ、宿所美化寮前で班長の諸注意を受けたのち、神社の前で総指揮者の及川氏の話を聞く。そのご農具舎・講堂・農場・木工場・食堂を案内され、最後に霊社の神前にぬかづく。この間及川氏がいろいろの話をされる。

  神社前では「今日この時限りで今までの生活を打ち切って、今日からは新しい生活を始めよ」と説き、また「入所者は、去る前に自分の名を木符に刻んで講堂の屋根裏にそれを掲げ、この道場を心の故郷にしている」と説明し、「短期訓練生であっても、亡くなられるとこの霊社にまつられる」と話し、六原訓練生の団結の力を示された。九時消灯、寝具は毛布のみ。

  6月27日
  一同が同じ屋根の下で寝た最初の夜であったため、余り眠らず、しゃべっていた。眠いまま太鼓の音で五時起床。神社前で宣誓式。農具式があつてのち、1時間ほど土地の開墾作業。午後は日本体操(やまとばたらき)の解説、養苗所の除草。

  この日も及川氏の訓話がある。「雑草の方が苗よりも早く成長するように、人間も、罪過ち等の悪い邪念のみがのび易く、直き正しき心はなかなかのびにくい」という話を聞き、反省しながら畑の雑草を取った。

  6月28日
  疲労のため、話をする者もなくぐっすり眠る。神社前での行事を終えてから、約4キロの「雄走り(おばしり)」が行われた。朝食ののち、午前中はまず講堂で「日本人とは何か」という及川先生の連続講話の第1日が行われる。

  「二拝・二拍手・一拝という形で神を拝礼する所以」、「祓(はらい)とは、本来神たる心を持っているはずの日本人が、罪・けがれ・過ちごとを持っているときに、それを取り去るためのものである」等々。その後、昼食までと、午後いっぱい、トウモロコシ畑その他の除草を行う。夕食後川で身体を洗う。(つづく)


  ■コラム「ウサギ狩り」

  昭和17年12月22日(火)
  ウサギ狩り。朝、校庭で分列行進の後、観武ケ原に行く。ウサギ11羽、キジ1羽、リス1匹が収穫。

  翌昭和18年12月22日(水)
  ウサギ狩り。強風下、収穫ウサギ8羽。
   ◇   ◇
  最上級生の一部が雪景色の中、柔道着でカモフラージュし、背後にテニスやバレーなどのネットを張り、こん棒を握って待ちかまえる。

  他の900名の生徒はこのネットを目指して包囲の輪を、ホーイホイと叫びながらじわじわと絞っていく。中にひそむウサギは右往左往しながら次第に追い込まれ、追い込む生徒も持参の木刀やこん棒を振りかざしてヒットを目指す。

  途中には小川あり丘ありで、けっこう起伏があったが、次々飛び出す小動物の姿を見るだけでもけっこう楽しいのだった。

  そこで学んだことは、前脚短く後ろ脚の長いウサギは上り坂には強いが下りは不得意。転げてしまったりするのだった。ウサギ追いは逆落としが一番ということ。

  猟師さんも何人か参加したが、生徒が駆け回る中では危険ということで、途中から銃の使用は禁止だったらしい。

  収穫した野ウサギは例のみそ汁給食に当てられたが、1千人に10匹では何ともならず。増量材に何やら見慣れぬ肉が入っていた。

  脂肪部分が黄色いのをみると、これは岩手公園のサルかもしれない、という声もあった。が、真相はいまだに不明だ。(佐藤 洸) 


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