戦時下の盛岡中学   33    増田眞郎(昭和20年卒業生)

教室の床洗いから始まった

  教室と廊下の清掃は、掃除当番が毎日行った。当番は毎日順に代わった。掃除といえばわたしたちが3年の1学期に、自発的に行った清掃は校内の話題を呼んだ。

  それはまず教室の床洗いから始まった。古い木造校舎の床はすでに真っ黒であったが、床に水を流し、荒縄で作ったタワシでこすった。1日では終わらなかったので、何日にも分けて、毎日の掃除当番が前日の仕事を受け継いだ。

  ついで、家が農家で、汽車通学をしていた者たちが、家からぬかを持ってきた。それでぬか袋を作って、汚れの落ちた床を磨いた。床はにぶく光るようになった。

  1組では田口先生が授業のため勢いよく教室に入ってきた途端、滑りの良くなった床に足をとられて、もんどり打って転んだ。皆はどっと歓声をあげた。先生も大声をあげて笑った。

  教室内の床がきれいになると、次は廊下をやった。床が終わったので次は壁。机を幾段にも積み重ねて、その上にのぼって壁の水拭きをした。クレンザーのようなものしか洗剤としてはなかったから、それを使ったのか、水拭きだけであったのかは忘れた。

  本来なら天井や壁から始めて最後に床なのであろうが、順序が逆であるのは、そこまでエスカレートするとは、わたしたち自身思っていなかったのであろう。

  教室近辺が終わると、掃除の勢は便所に向かった。落書きを消したり、水で洗ったりした。このような清掃をどの位の間やっていたのか、記録がないが、「この頃は教室の内外が綺麗になって気持がよくなった」とわたしはしるしている。

  ある日の朝礼で、校長先生がこの清掃を全校生徒の前でほめられて、わたしたちは喜び、意気ますます盛んであった。わたしたちの学年は一風変わっているとは、よく先生たちから言われたことである。

  映画館や飲食店の立ち入りは禁止されていた。そのため、学年で、また全校で、ときどき映画を見に行った。テレビのない時代だから、ニュース映画は目で見る唯一のニュース源であった。引率されて見に行った映画には、次のものがある。

  昭和16年度
   2・26 シンガポール陥落のニュース映画
   3・13 将軍と参謀と兵
  昭和17年度
   11・25 英国崩るるの日
   12・4 ハワイ・マレー沖海戦
  昭和18年度
   6・1 海軍戦記
   7・3 大陸新戦場・マンガ決戦大会
   9・3 世界に告ぐ(ドイツ映画)
   9・22 決戦の大空(土浦航空隊が主題)
   3・14 あの旗をうて
  昭和19年度
   4・5 加藤隼戦闘隊
   5・5 轟沈

  映画を見終わってからまた学校にもどり、授業を受けることもしばしばであった。

  なお映画に触れたついでに、後述の平塚動員中に、やはり全員で見に行った映画を記しておこう。1日の作業を終えて、帰寮する途中、映画館に立ち寄ったものである。

  昭和19年度
   10・20 四つの結婚
   11・5 花咲く港
  昭和20年度
   6・4 日本剣豪伝
   6・12 生ける椅子

  ニュース映画とのだき合わせでついでに見たというものもあるかもしれないが、ずっと娯楽性指向が強くなっているのは、当時平塚に来ておられた先生方の配慮というものであろうか。(つづく)



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